ブラッケン・ハウスは、セント・ポール寺院の斜向かいにある荘厳な造りの建物だ。1959年竣工。戦後かなり焼け野原だった金融街の外れ、復興の気運に合わせ経済紙ファイナンシャル・タイムズが委嘱したこの建物。建築士はアルバート・リチャードソン卿である。ファサードには戦後の建築にしては珍しく天文時計もあるし、クラシカルな雰囲気のあるファサードは今見ても古さとか違和感を感じさせない希有な成功例ではなかろうかと思う。まず、この建物はレンガ造りではない。石でできている。ファイナンシャル・タイムズ紙は紙の色がピンク色でも有名だが、この新聞の色に合わせて砂岩は特別にイングランド中部地方のホリントンという区域から採掘されたものだ。ちなみにブラッケン・ハウスの名前だが、ファイナンシャル・タイムズ紙、前オーナーであるバーナード・ブラッケン卿に肖っている。天文時計の中央には、ブラッケン卿の友人だったチャーチルの肖像画が嵌め込まれていたりもする。「ちょっとばかり、力入れてみました」が感じられる。
この建物に鉄とガラスのファサードを追加したのが90年頃だ。マイケル・ホプキンス卿による再設計はオリジナルの重さを損ねることなく、きっちりモダンに機能性と美しさを兼ね備えたもので、こちらも素晴しい。
ところで新聞は88年に完成したドックランズの新社屋に移るまではここで印刷されていた。で、この新しいFTビルは設計がグリムショーで、これまた素晴しい。今度ドックランズに行ったときにはまたレポートしてみたいと思う。
2008年4月28日月曜日
ブラッケン・ハウスの再生
2008年4月27日日曜日
コンディトー&クックのホット・チョコレート
サイトが、およそお店とかそこで売られているものの質とか雰囲気を反映していないように思う。Konditor & Cookという、チョコだとかケーキだとかのお店だ。チェーンといえばそうだが、ロンドンに5軒のみ。ぼくが良く行く映画館の中にも入っているし、週末のマーケットの傍にもある。巨大な焼きメレンゲは、おでんでぶくぶくに膨れ上がったような「はんぺん」を彷彿とさせる。ブラウニーも好物なのだが、ココアのスプーンがビスケットになっていて、かき混ぜながらココアのしみたスプーンを齧っていく楽しさもココならではだ。
ところで、英語でココアというのはカタカナでいうココアを作る粉のことで、ココアとして牛乳など足して飲み物になっているものは、あくまでもホット・チョコレートである。夏目漱石にも「チョコレート飲む?」という台詞が出てくるが、時代が下って簡略化されたのかもしれない。
2008年4月26日土曜日
「ペルセポリス」、観てきました
ヘンデルの「ラールゴ」は、今ではほとんど上演されないオペラ「クセルクセス」の中の一曲である。今から遡ること20年ほど前、某ウィスキーのCMでキャスリーン・バトルの歌う「オンブラ・マイ・フ」として、テレビでも放映されていたので、お茶の間での知名度もそれなりに高いのではないだろうか。で、その、クセルクセスというのは何かというと王様の名前である。紀元前5世紀アケメネス朝の王様なのだが、この人の父親であり、アケメネス朝4代目の帝位を君主制に基づいて引き継いだ王様がダレイオス一世である(諸説あり)。ダレイオスと、クセルクセスの代に遷都され、当時まだ建設の続いていた都市国家がペルセポリスだ。ペルセポリスは、現在ではユネスコの世界遺産に指定されている。
イラン人の友だちは二人いる。どちらもパーレヴィ王政の崩壊した1979年にロンドンまで逃げてきた人たちだ。一人は新聞社の、かなり上層部で働いているお父ちゃんで、もう一人は当時まだ小学生だった女の子である。フランス映画「ペルセポリス」のマルジにも、ちょっとだけ境遇が似ている。この友だちは英語もまったくイギリス人のそれで、特にイラン人としてのアイデンティティを表面に押し出している人ではない。79年に何が起こったのかも、サラッと「逃げてきたのよ」と素通りくらいで、境遇については落ち着いて話たことがあるわけでもない。それにしても、いかにぼくはイランのことを知らないのかを痛感させられる。クセルクセスがイランの王様であることも、ペルセポリスがイランにあることも知らなかったのだ。
映画「ペルセポリス」はアニメではない。監督マルジャン・サトラピの半生を綴ったグラフィック・ノベルを、忠実に動画に置き換えたものだと思う。実写だったら遠い世界の出来事が、動画であるがために親近感の沸くものになっている。ところで映画には、世界遺産の話は全く出てこない。まして、クセルクセスのことには一言も触れていない。西洋でも馴染みの深いポップ文化への参照のほうが、よほど豊富だ。ぼくとサトラピ監督とは同年代ということもあって、<自分もやったなー、「アイ・オブ・ザ・タイガー」に合わせてゲンコツ突き出すの>、みたいなところでも楽しい映画だ。悲惨な現実を、ユーモアたっぷりに綴ったイランの近代史。
ところで、声の出演だが、大人になったマルジはキアラ・マストロヤンニで、マルジの母タージの声はキアラの実母であるカトリーヌ・ドヌーヴである。イギリスでは、この辺は全く話題にならなかったけど。
2008年4月25日金曜日
「確定性定理」ですと?
意外なことを、いつまでも覚えているものですよね人間って、っぽい話。今日思い出したのは、お料理とかお寺さん巡りが好きな友だちと、みたらし団子を作りながら「相対性理論はみんな知ってるけど、量子論って知られてないよね」っぽい話をした15年前の秋のことである。脈絡として、マーク・ブキャナンという人の「The Social Atom」という本を読んでいるのだが、<「不確定性定理」というのはそう見えるだけであって、実際はある程度確定的なものである>、ということである。すごく興味深い。
ブキャナンは元々は行動心理学の畑の人だそうだが、「コペンハーゲン解釈とは対局にあるド・ブロイ=ボーム解釈で、なぜ近所に住む人が自分に似ているのかが説明できる。富裕層がなぜ増々裕福になるのかが分る」みたいなことを解いている。世界の確率的な振る舞いの裏に、確固たる存在または性質が実在するという主張。隠れた変数理論。なるほど、神はサイコロを振らないわけね。お料理が好きな人と友だちっていうのも、偶然じゃないのかもしれない。慶應幼稚舎にだって、カネだけでは入れないのだ。経営アナリストの仕事もこれなのかなあと思いつつ、まだ読み終わっていない本のページをめくる。いやー、この先楽しみだなー。
2008年4月24日木曜日
ご近所探検隊:Cafe Des Artistes
大体、なんでタイレストランに「芸術家のカフェ」なんて名前が付いているのか。それに、同店内がカントリーと東南アジアのごった煮みたいな様相を示していなければならないのかということも含めて、ナゾの多いお店というのが第一印象だった。解釈というものは個人的な感覚に依存するところが大きいとはいえ、お店を入ってすぐのスロットマシーンは、あまりいい将来を約束するものとは思えない。あまつさえ、頭文字なのであろう屋号のCatsという看板は、どう観てもミュージカルを模倣したものだ。タイ料理屋さん?なのである、あくまでも。
地下鉄フィンズベリ・パークの栄えてない方を左に登ったストラウド・グリーン・ロードの79番。存在は知っていたが、なんとなく入る気になれないお店の1つだった。モーレツにココナツっぽくて辛いものが食べたくなり、近所だと「ああ、あんなところもあったっけね」、ということで行ってみた。
うまい。
ロンドンにあるタイ料理でも1、2を争う旨さだ。椰子の葉で香りと色を付けたココナツライス、ジャングルカレー、パドタイのどれもが「うめえ」を連発しながら食べずにはいられないおいしさだった。サービスだって早くて丁寧だ。申し分ない。
疑ったりしたオレが悪かったと反省しつつ、<近所にこんなおいしいお店があるなんてうっしっし>を噛み締める平日の晩。
2008年4月23日水曜日
コリン・ファースのエコショップ
「ロンドン市長選挙ではグリーン党に投票する」発言もあった俳優コリン・ファースが言い出しっぺというエコなお店が、当人在住のチズウィックに開店した。その名もエコ・エイジだそうである。地下鉄ターナム・グリーンから歩いて数分のハイストリート、インテリアが中心だがコンサルティングまで引き受けるという大規模な展開を目指しているらしい。品揃えも、お、これは欲しいかも、というのがそこここにある。毎日、一人一人ができるところから始めようぜ、というスタンス。で、コリン・ファースは「混雑税は払いたくないからプリウスにした」のをきっかけにエコに目覚めたそうである。いいんですよ、きっかけはなんでも。
2008年4月22日火曜日
4月の緑と不確定性
4月というと、雨が多いわけで。日本の梅雨とは事情が違うが、天気予報屋さん泣かせの実に予測しづらい天候が続くのだ。とかいいつつ、去年の4月は7月や8月なんかよりよほど気温も高くて晴れた日が多かった。が、こういうのは例外中の例外で、例年4月のロンドンは朝には晴れてていい陽気でも、昼ごろには雹が降り、午後には晴れるが気温は朝より10度以上低い、何てこともざらである。確かに、散歩だとか買い物だとか、外に洗濯物を干せる幸運なロンドン市民には不便なことこの上ない。しかしそれも、「自然とはかくあるものよ」と括れるハラもあればこそ、である。
この季節、「いつの間に」っぽく緑が濃くなる。地面でラッパ水仙が勢いつけていた頃には、気の緑はこんなに青々としていなかったよな、ってな若干急激な成長。といった感じでおまわりさんも、馬で闊歩のグリーンパーク。
2008年4月21日月曜日
思いつき朝食
2008年4月20日日曜日
誰もいないシティ
週末に、金融街を訪れるのは中々一興である。まず、ほとんど人がいない。平日の朝晩なら、まず余裕で数百人くらいはすれ違うであろう人が、駅からバービカンまで歩いた10分間に数人程度にまで減る。ここまで極端なのもすごいんじゃないかと思わせる類いのすごさだ。
今日は何しにシティかというと、アントニオーニの「砂丘」を観にきたのだ。ミもフタもない言い方だが、しょうもない映画だと思う。しょうもないけど好きだ。ピンク・フロイドだってパティ・ペイジだって、「これでもか広告攻撃」だって、もうそれだけでいい。クリシェとしては衝撃のラストシーンかもしれないが、「それはともかく」という映画だと思う。同じ種類の映画にはウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」がある。しょうもなくても、いい。とりあえず、こういうのもありだよな、と思わせるすごさ。
思えば、ロンドンに来て最初にしたことの1つが、仲良しの友だちと東ロンドンのアトリエ巡りと、その帰りのシティの散歩だった。週末。Love Laneという素敵な名前の裏道、道標はキスマーク付きだった。巡礼してみようかな、また今度。
2008年4月19日土曜日
チャリティとランチは両立するか
テレビ番組は観ていたし、レシピ本も活用している。社会貢献度の高さでも尊敬を集めている人のお店だ。つまり、ぼくも有名な人のやっているレストランだからという理由で行ったことには変わりない。超有名なシェフのやっている、ユニークな非営利団体のレストラン。
なのだが。
「噂の的」だから期待が高過ぎたのだろうか。「セレブなシェフ」のお店だからつい点が辛くなってしまったのだろうか。その要素が全くないとは言い切れないかもしれないが、できるだけ客観的に判断して、このお店にまた行きたいかというと、答えはノーである。オシャレな場所?ロゴは、ちょっと80年代風だよね。それに、どうして席に案内されるまで20分もバーで飲みきったグラスを眺めていなければならないんだろう?店員の行き来はひっきりなしだ。これって、活気に溢れているのか?それにしては私語やムダな動きが多過ぎる。有名人のやっているお店だから気になってここに足を運んだのは、そういうわけでぼくも同じである。店内でカメラのフラッシュが数分おきに光ることでも、それは思い出されることになる。それにしても、ひっきりなしに動くウェイターやウェイトレスがいながら、料理の出てくるのが遅い。イタリア風のメニューだが、イタリアを気取ったイタリアでもなんでもないものに、なってしまってはないだろうか。出てきた料理はまあおいしいけど、「けど」なんだよな、しかし。だってラム、数百回くらい噛んだけど、ついに飲み込めなかったし。見渡すと概ね、モダンを装った内装。なのだろうが、そこの合板椅子とシャンデリアを結びつけるものは何だろう?ユニフォームが蛍光ピンクがパンクなロゴと戎のジーンズ。それはいいけど、クリケットの素振りかー。チャリティなのは分る。分るけど、「恵まれない環境で育った若者の更生施設なのだここは」と、自らに言い聞かせながら食べることになるのって、ちょっと考えものじゃなかろうか思いつつ、デザートはキャンセルする。
といった感じで、レシピ本は今後とも活用していこうと思う。不遜なんですけど、この人のレシピ、自分で作ると、おいしいし。
2008年4月18日金曜日
本日の購読リストもまた併読
ユイスマンス「さかしま」
高野文子「るきさん」
マキューアン「土曜日」
チャペック「園芸家12ヶ月」
「さかしま」は50年代の英語訳なのだが(ボールディック訳)、まったく古くない。第9章までさしかかって、この3月に大学を出て卒論はゴヤだった友だちのことを思う。デカダンっていうけど、そうなのかなあ。澁澤龍彦も好きなので、日本語訳でも読んでみたい。
「るきさん」はもう何十回も読んでいる。最近「るきさん」度が下がってきたかな?なんてときに再読して、トップアップするのだ。
マキューアンは読書家のともだちが教えてくれた「セメント・ガーデン」以来、最近の「贖罪」も良かったので出るといつも読んでいる。新作は脳外科医の一日に起こるさまざまな出来事である。もう3分の1ほどまで読み進んだが、この男の土曜日はまだ午前中なのだ。おっさんの半日で数百ページ。続きが気になってしょうがないマキューアンの筆力。食い入るように読む。数ページずつだけど。
チャペックは、プラハのともだちが「種蒔いたんだってね」と送ってくれた。早ぇ。しかも、ちゃんと英語訳を探してくれたのだ。ありがたい。実践的な園芸ガイドがここまで文学的な崇高さを吐露するというのは希有な成功例ではないだろうかと思う。これまた尊敬している、いとうせいこうの「ベランダー」コンセプトも「園芸家12ヶ月」から生まれている。英語で読んでいるので、これも日本語訳が気になるところである。
といった感じでブラウン首相にカリスマ性があろうがなかろうが、ちゃんと仕事してくれてるかのほうを焦点にはせんのか?などとも思いつつ、今日の思いは「そろそろ新茶の予約入れとかんとなあ」である。
2008年4月17日木曜日
チャリンコ乗りに最適な風力発電
自転車は基本的に好きだ。小学生のときからほとんど毎日、子供にしては相当の距離を自転車で移動していた。ウォークマンで音楽を聴きながらというちょっと危ない方法ではあったのだが。好きな音楽を自分コンピレーションするという作業そのものも楽しかった。レコード、録音中に次を選んで曲が終わったら一時停止、レコード掛けかえ、その次のレコード、という具合だ。自分で選んだ曲を聴きながら移動ということ自体は、今も変わっていない。それがiPodとiTunesのプレイリストになったので、90分テープを作るのに費やしていた数時間が数十秒になったけれども。
で、もし自転車に乗っていたらこれは使いたいかも、というものがHYMiniである。蓄電池が内蔵されているので、20分の充電で(すなわちチャリンコこぎ続けで、ということだが)iPodなら30分、携帯電話なら4分ほど使えるらしい。それなりの努力が生む電力。ありがたみが沸きそうな数値である。現実的には「しまった!電池切れだ!」というシチュエーション向けではあろうものの。
2008年4月16日水曜日
2008年4月15日火曜日
「思いがけず」と「いつもありがとう」の狭間
ロンドンに住んでいて、ときどき一緒に遊んでいる友だちから絵はがきが来た。「遠くに住んでいる」とか、「旅先から」、というのではなくて近くに住んでいる人からだったというのがまた感慨深い。仲のいい人たちではあるので、全く予想外というわけでもないながらも、メールやSMSじゃなくてはがきだったというのは軽い驚きである。
晩はバルセロナから帰ってきた友だちと一緒に、コヴェント・ガーデンにターリを食べにいく。お土産にハモンセラノだとかをくれる。バルセロナ在住、版画家の友だちから預かってきたというニョラスという干しピーマンのようなものもいただいた。バスク地方のものらしい。ドックランズ在住、シェフなハーフスパニッシュのともだちにも聞込みを入れてみようと思う。マーケットで見かけて気になりつつも使ったことのなかった食材。スペイン語の解読から始めて、週末に向けて楽しみがまた増えるわ。
2008年4月14日月曜日
付加された情報の価値と危険性
オーディオが<いい音>というよりも<利便性>が優先されていたのは、今に始まったことではないと思う。カセットだって、iPodだって、便利だから発明されたというほうが先であって、どれだけ音質を良くするかは付随する項目でしかなかったんじゃなかろうか。
今チャールズ・ミンガスを聞いている。いつも苦みばしったようなその表情であるとか、ちょっと前衛というか現代音楽っぽい解釈だとか、急に「スペイン?」みたいなギターの意表だとか、万人向けでは決してないだろうが、音楽そのものでは判断できない奥の深さのようなものがあると思う。しかしこれっていうのも、情報が先んじてるからなのかなあと、ちょっと思ったりもした。果たしてぼくは、ミンガスを「聞いて」いるのだろうか。情報をして好きだと思わせてるだけなんてことは決してないと、ぼくは言い切れるのだろうか。
「The Black Saint and the Sinner Lady」は、ベリック・ストリート(スペルはBerwickだが、発音はベリックである)のレコード屋さんで買った。CDではない。レコードである。10年以上前だ。レジに持っていったとき、「これいいアルバムだよね」(後ろの客、アイルランド人)「そうだよね」(店員の黒人)「なんかオリエンタルって感じするよね」(別の店員)みたいな話で盛り上がったのを覚えている。レコード屋さん自体にあまり行かなくなったが、こういう邂逅って、増々少ない気がする昨今。
2008年4月13日日曜日
種蒔きは、14番目の月
常識なのかもしれない。が、ぼくは知らなかった。フランス版「おばあちゃんの知恵」っぽい本を持っているのだが、それに出ていた知恵の1つに「新月から上弦までに種蒔きすると成長を促進する」とある。なるほどねえ。月の満ち欠けって、やっぱり不思議。ちなみに植物の成長に月が影響するという主題に関しては、E. A.クロウフォードという人の「The Lunar Garden」という本もあるそうである。ちょっと面白そうだなあ。ぼくはガーデニングというよりは、<食べられるもの>を栽培してみたいのだけれど、概念としては興味深い。庭もなければベランダもない状態ではあるが、どこまで出来るだろうか。「大根は難しそうだよね」、みたいなことはある。軒先というか、窓の外に植木鉢を置いて、という範囲で現実的な選択はなんだろうか。セミプロの水彩画家であり、庭師でもある義父にも聞いてみた。「葉ものとラディッシュは簡単だよ」、だそうである。
じゃ、初心者なので、葉っぱものからひとつ。
まず昨年、姉に頼んで送ってもらった小松菜だとかの種がある。サセックス州で、日本や中国の(ヨーロッパでは)珍しい野菜の種を扱っている菜園もある。蒔いた種は紫蘇、春菊、水菜、壬生菜、ルッコラ、セルフィーユ、スイバなどである。
今日は半月、これから月は満ちてくる。Plantedのいう「ベランダー」どころか、窓から体を乗り出してのガーデニング、果たして成功しますかどうか。
2008年4月12日土曜日
はずれちゃったの、冥王星
幻の名作「シバラレダイン」が5回で終わってしまってもうすぐ2年、その後のNeoM rePublicにおけるしりあがり寿の映像作品は「まあ、面白いんだけど」の<けど>の部分が気になるものが多かった。
しかしこの3月から配信されるようになった「ならべうた」シリーズはかなり好きだ。第一作めの「干支」、二作め「オリンポス12神」に続き、今日iTunesのポッドキャストで送られてきた「太陽系」は傑作である。主題の選択もさることながら、異常にプラグマティックな動画はモーションキャプチャーのごとき滑らかさである。なんの意味もない。やっぱりしりあがり寿は天才だ。
2008年4月11日金曜日
モホリ=ナジとフェラ・クティが繋ぐ時間
パフォーマンス・アーティストの友だちが、ベルリン公演から帰ってきた。今回はナイロン糸をピンと張って部屋全体をリュートにしたという出し物で、特に子供たちに大ウケだったそうである。電話口で、なにやら思わせぶりな雰囲気で「直接伝えたいニュースがあるの」という。ほほう。聞かせてもらおうじゃないの。金曜日だし、晩御飯でも一緒に食べながらということで、まずは家に来てもらった。
マーマレイドとイタリアンパセリをたっぷり入れた野ウサギのラグーをまたやってみる。パスタはパルパデッレ。セルフィーユのハーブバターで、チヤバタを暖める。ルッコラと、グリドルで焦げ目を付けたリボン状のズッキーニのサラダはライムのドレッシングである。妻がレモンカードとバイオレットのトライフルを仕込んでいる頃に、二人はやってきた。
ぼくと同い年のその友だちは、着くや否や「結婚するの」という。付いたり離れたりを繰り返しながら10年以上付き合ってきた彼と、ついに、ということである。この彼がちなみに写真家なのだが、グラストンベリーにフェラ・クティを観にいってたり、高橋幸宏ファンの元カノがいたり、ヒーローはモホリ=ナジだったり、ぼくと接点の多い人だった。これからも、今まで以上に一緒に時間を過ごすことが多くなりそうな人たち。
2008年4月10日木曜日
「ちん」と「ぺ」-遠方より来る友
まさに新婚さんいらっしゃいなのだが、もうかなり古い付き合いなので、実感的には、、、というやつのようである。
今回は観光というか、新婚旅行なのに家までわざわざ来てくれた。ロンドンで、映画製作の現場で知り合ったこの二人。「ちん」は映像の人で、こういう<分ってる人>に写真を褒めてもらったりすると、やっぱりうれしい。けっこう久しぶりなのだが、先週くらいに会ったばかりのような自然さで、あっという間に夜は更ける。妻のウエディングドレスを手づくりしてくれた「ぺ」と妻は、実に11年ぶりの再会である。しかしこれまた先週会ったばかりのような自然さで。ちなみに晩のメニューはチキンとナツメヤシのタジン。ザクロを入れたクスクスに、「ちん」は興味津々のようである。
ちなみに、お土産もコシヒカリからホワイト柿チョコまで炸裂するこの二人カラーが流石である。明日の朝、噂のターミナル5からバルセロナへと出発。週末を向こうで過ごし、来週またロンドンに一度戻ってから帰国。飛行機、無事乗れるといいね。
2008年4月9日水曜日
わざとじゃなかろうかという名付け
オーストリアはザルツブルクの北33キロ、バイエルンの片田舎に実在するフキンクという村。最古の記録は1070年という、由緒ある村だ。ここの道標は盗難が絶えないそうである。ちなみにスペルは、Fuckingである。
それとはちょっと違うのだが、似たような例が昨日読んだ新聞に出ていた。それが今日は、BBCのニュースにまでなっている。
Luntという街が、リヴァプール近くにある。古ノルウェイ語か古スウェーデン語が語源だそうで、「一塊になった木々」みたいな意味があったらしい。英語が話せる人ならすぐピンと来たかもしれないが、いたずら書きでLをCに変えるという被害が絶えないそうである。Launtにスペルを変えたいという声が上がっているが、中世から続く歴史ある村だけに「いたずら書き程度の理由で名称変更なんてしたくないですね」という住民の声も強いのだとか。
でもさー、これ、英語でいうasking for itなんじゃないかなーとかも、ちょっとだけだけど、思わないでもない。
2008年4月8日火曜日
ピスタチオとバラのケーキ
2008年4月7日月曜日
グレツキとクロノス・クァルテット
ウェストコーストジャズに辛口の意見の人も多いが、ぼくはビル・エヴァンスもチェット・ベイカーも、どっちも好きだ。93年、センセイショナルな売り上げを記録した交響曲3番で「軟派」とされているグレツキだが、ぼくはラフマニノフは聞かないまでもグレツキは好きだ。反面、シューマンとかチャイコフスキーが好きというクラシックファンと、ジミ・ヘンドリックスだとかライヒだとかいう守備範囲でほとんど手放しで好きなのがクロノス・クァルテットというぼくみたいな人と話が合うのかどうかは、微妙というものもあるかもしれない。それはともかく組み合わせが個人的にうれしい、クロノス・クァルテットによるグレツキの弦楽四重奏曲第3番を入手。「すでに日は暮れて」と「ひばりの音楽」が収録されたクロノスも良かったが、この録音は更にこなれの良い、鍛え上げられた演奏という気がする。第二楽章のラルゴはソリッドで今日みたいに寒い春にぴったりという気がする。
ところで、交響曲3番は、ぼくはズィンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタより、ナクソスから出ているポーランドラジオ響の録音の方が好きです。
2008年4月6日日曜日
またしても雪っていうか吹雪だよね、これは
2008年4月5日土曜日
北アフリカに思いを馳せる
わけではなくて、ただ単にムーア人の食べてるものを応用して、クスクスだとかの簡単なランチにしたのだ。一瞬雨が降ったが晴れている土曜。花冷えというには気温が低過ぎる。真冬の寒さだが、今日のランチで気分は南国である。
パンを焼いて、ヒヨコ豆とほうれん草をトマトで煮たものとチキンの炒め煮がメイン。タラゴンとかディルとかのハーブとゆで卵で酢の物のような感じにしたものだとか、フムスにラムの挽肉と薫製パプリカ粉をまぶしたものだとかもある。ハモン・セラノとマンチェゴ+メンブリヨもあるのでちょっと贅沢な感じでひとつ。「これ、ようかん?」というともだちは、メンブリヨは初めてだそうである。ああ、マンチェゴとメンブリヨ。おしるこに伽羅蕗にも似た、かなり天才の組み合わせ。
2008年4月4日金曜日
2008年4月3日木曜日
焼きメレンゲと梨、チョコソースにナッツ
2008年4月2日水曜日
そんじょそこらの古本屋ではなく
生まれ変わったブランズウィックセンター。良く行く映画館もあるし、日常の買い物に利用しているスーパーもあるし、眼鏡もここで新調した。が、生まれ変わってないものもある。SkoobBooksという古本屋である。ぼくの母校(のひとつ)はロンドン大学のSOASというが、学生だった頃はDillonsと呼ばれていた本屋さん(現在はWaterstone)とSkoobでいろいろな本を買った。今でも読んでるTextual Strategiesだとか、フィリップ・ハルスマンの写真集だとか、ちょっと感慨あるなあ、という感じである。なんとなく、サンフランシスコのバークリーにでもありそうな雰囲気の本屋さんで、無垢の木の本棚にぎっしり本が詰められている。のだが、時々外国語の本もあってフランス語だとかドイツ語だとかの他に、なぜか金賢姫の本があったりもする。ブランズウィックの北側を地下に降りるのだが、かなり知らないと辿り着けないと思う。本はネットで、だけじゃない楽しさ。いやー、でも長居しちゃうんだよな、しかし。
ちなみにスクーブと読むこの屋号だが、ブックスの逆さ綴りである。ちょっとベタ。
2008年4月1日火曜日
夏時間が始まって
散髪に行った。トルコ系の、すばらしく速くて腕のいい理髪師だ。平均所要時間は7分程度である。夏時間になった翌々日、9時近くまで外は明るい。理髪店の主は完全に夏時間を見逃していて、営業時間を50分も過ぎてるのにまだ営業している。おかげで、遅い時間に散髪できたわけだが。と、頭もさっぱりしたことだし、晩にはかつて消防署だったというその名もFire Stationというバー&レストランへ。ものすごく混んでるのに、食事は「?」である。おいしくないわけじゃないし、サービスも悪くないんだけどね。片や、Xubuntuのインストールはまだうまくいっていないが、なんとなくほっといてしまう。Unclattererには、「メールのフォルダは少ない方が散らからない」みたいなことが書かれている。そうだよなあ。フォルダ、増え過ぎだよなあ。録画しておいた「Dirty Sexy Money」を観てみる。期待していたほど頭を使うドラマではなかったが、そこそこ面白い。でも、この先も観続けるかどうかは、ちょっと疑問。BBCはかなり良くできたニセモノの「空飛ぶペンギン」をニュースとして放映している。あ、今日はエイプリル・フールだったか、、、。みたいなぼんやりした日だった一日。
2008年3月31日月曜日
道徳の癲癇、20年記念のマメット
モラル・エピレプシーという主題。善悪の彼岸はニーチェだが、マメットの舞台は善悪の癲癇である。今日はThe Old Vicという劇場で、マメットの傑作「Speed-the-Plow」を観てきた。経営難で倒産の危機にさらされていたOld Vicだが、製作総指揮にケヴィン・スペイシーを迎えて以来見事カムバックのようである。この日も月曜の晩だというのにキャンセル待ちに100人以上の行列、ひとつの空席もない状況での開演となった。それもそのはず、ジェフ・ゴールドブラムとスペイシーの主演、歌手でもあり舞台版「ロード・オブ・ザ・リング」にも出演しているミュージカルスター、ローラ・ミシェル・ケリーの助演という贅沢なキャスティングでこのマメットの戯曲、初演から20周年なのである。
ハリウッドのプロデューサー、ボビー(ゴールドブラム)の仕事仲間であるチャーリー(スペイシー)が次の映画のネタを持ち込む。軽薄そのもの、金儲けにさえなれば内容はどうでもいい、典型的にモラルの低いこの二人。そんなボビーのオフィスに秘書として入ってきたカレン(ケリー)にもセクハラ寸前の振る舞いが続く。ボビーはいとも簡単にカレンを自宅に招くが、その純真無垢な振る舞いに自らのなりふりを反省、翌日チャーリーにこの世界から足を洗うつもりまであることを告白、思い詰めるボビーだが、、、。というプロット。
見所はなんといっても登場人物3人の演技と呼吸である。特にスペイシーのエネルギーは見る者に伝染せずにはおかない凄まじいパワーだ。コメディではあるが、「このカレンって女、実は狡いんじゃないの?」っぽいサブプロットも含め、噛み締めるほどに味の出る戯曲である。タイトルは作者によれば「意味としては'Industry produces wealth, God speed the plow.' という格言に基づいている。労働ということを意味するのみならず、一から出直しという意味もあって、この戯曲に完璧なタイトルだ」ということだそうである。なるほど、産業が富を生んでいる間、神は素早く鋤を動かすわけですな。
「Speed-the-Plow」は、単なるハリウッドへの風刺だけでは終わらない。ウォータールー駅から数分のOld Vicで4月26日まで。
2008年3月30日日曜日
バーセルミ再訪
中学、高校の頃から読んでいて、今でも時々引っ張り出しては読んでいる本が3タイトルある。山岸凉子の「日出処の天子」と漱石の「草枕」、それに ドナルド・バーセルミである。アメリカの「マッド」というマンガとか、Appleのマッキントッシュだとかと平行して、バーセルミは中学生のぼくを「どうしてぼくはアメリカ人じゃないんだろう」なんて思わせたものだ。ただバーセルミは短編集と言ってもバーセルミだけで1冊というのではなく、タイトルは忘れてしまったのだが、ふと入った神保町の古本屋でボルヘスも収録されているもの、というのがバーセルミとの<出会い>だったと思う。その後ユリイカとか、WAVEなんて雑誌(「メタフィクション」特集)に一部が訳出されたものだとかを含め、バーセルミの作品をずっと探し続けてなぜか全く見つからないというのが10年以上続き、気がついたらバーセルミは亡くなっていた。バーセルミはそんな個人的な曰く付きの作家でもあるが、ちょっと恐ろしい感じが、いつ読んでも漂う。猟奇的とさえ、言えるかもしれない。
手元にあるのは92年刊のアンソロジー「ドンBの教え」である。柴田元幸の名訳もいくつかあるのだが、少しずつ訳出していきたいと思っている。1ページとちょっとしかない短編「手紙を書いた」の出だしは、こんな調子である。
手紙を書いて、月の大統領に送った。そちらには、レッカー移動はあるのでしょうか、ってね。警察にわたしのホンダをレッカー移動されたのだが、実に気に食 わない。そいつを取り戻すのに、75ドルと精神衛生を犠牲にしたのだ。レッカー移動されるのは小型車だけだって知ってる?クライスラー・インペリアルが しょっぴかれるとこ見たことある?ないよね。
風刺と、諧謔に満ちている。バーセルミ楽しさはパスティーシュというか、パロディの精神であって、ポストモダン小説と言えばそうかもしれないが、そちらかというともっとポップで軽快なものだと思う。訳出できたら、この場にも投稿してみたいとか思ったりもする。著作権とかは、ちょっと微妙かもしれないが。
2008年3月29日土曜日
モフィットとエインジェル
ルー・ドナルドソンのアルバムに、ロニー・スミスのハモンドB−3がフィーチャーされていなかったら「アリゲイター・ブーガールー」があんなにリスペクトされた作品として残っていただろうかという疑問。ブルーノートはジャケットのアートワークの独創性の高さでも知られているが、あれがペギー・モフィットでなかったらあれほど視覚的にインパクトの強いものになっていたかどうかという疑問。コンテクストとパースペクティヴ。そして個人的な思い出。
今日はエインジェルに行ってきた。アンティークの街として知られているエインジェル。かつて住んでいたストーク・ニューイントンへの玄関口的な位置付けで、足を運ぶ頻度の高かったところだ。最近映画館も入っているショッピングセンターのようなものも出来て様相が変わったと早合点してしまい、足が遠のいていた。今日はかつて良く行っていたカフェやカレー屋さんやアフガン料理屋さんなどのチェック、アッパーストリートの家具屋さんの偵察も含め、久しぶりのエインジェル探索である。そもそも、ぼくにとってエインジェルに通り道以上の価値が生まれたのは友だちに教えてもらったカフェのせいなのだ。ちょっと独特なそのアートセンターの最上階のカフェは「誰にも教えないでね」という触込みで教えてもらったところだ。なんとなく、60年代風の雰囲気。モデルもしたことのあるその友だちは、ジーン・セバーグやジャンヌ・モローがタバコを吸う様を観て、タバコを吸い始めたのだそうだ。本人に直接言ったことはないのだが、ぼくはその友だちに初めて会ったときに、ペギー・モフィットみたいだと思った。顔が似ているとかではない。凛としたオーラとか、そういうことだと思う。ポリー・マグーよりは、アリゲイター・ブーガルーのイメージだ。そんなことを思い出しながら、歩くエインジェル。当時より商業の匂いはするが、街全体の雰囲気は思ったほど当時と変わっていない。あのカフェで何時間も話したこと。冷たくなったコーヒーの匂いや暗くなり始めた外の様子が蘇ってくる。今でも時々思い出される一言がその友だちから発せられた瞬間の凍りついた空気が、ぼくを撃つ。エインジェルだなんて、なんという象徴的な名前なんだろうと思う。
映画館の喧噪を足早に交わしつつ帰路に着く。かつてのお気に入りはすべて健在だった。ちょっと安心するひと時。
2008年3月28日金曜日
アリストテレスの、かの言葉
イギリスのレーシングドライバー、スターリング・モスの言葉に、「男性なら、自分が下手だと認めたくないものが2つある」というのがある。それに続く<その心は>の部分に、大きな意味があるわけだが、アリストテレスの言葉にも打たれるものがある。ぼくはギリシャ語は読めないので英訳だが、
“Happiness is self-contentedness.”
というやつだ。これも、かなり日本語になりにくいと思う。文字通りの意味を拾えば、「幸福とは、自己満足である」になりそうだが、これでは誤訳に近い。英語のself-contentednessは、日本語の自己満足にあるような、否定的なコノテーションが強くないのだ。満ち足りている、というのがcontentedだ。待てよ、と、ふと思い出したのは龍安寺の蹲いである。「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」。これがもしかしたら、時と文化を超えて共有された叡智だったのかもしれない。現代日本語にはなりにくいけど、何百年も前に言ってた人がいるんだから、今更知恵を絞ることもないのかもしれない。達観とは、決して諦念ではないのだ。
ところでスターリング・モスの「オチ」だが、「運転とメイクラブ」である。いやー、そうかも知れない。ううーむ、実に全くそうかもしれない。
2008年3月27日木曜日
対位法的鍵盤作品としての
友だちは、娘にカノンという名を付けた。音楽家の娘らしい、かわいい名前だよなーと、いつも思う。バッハの名字をモチーフにしたB-A-C-H(シ♭-ラ-ド-シ)の主題というのはベートーヴェンからパデレフスキまで取入れられてもいるが、それとこれとは別として。バッハの作品は全体的に何でも好きだが、最近特に気になっているのは「フーガの技法」だ。ファンだからかもしれないが、グールドの怪演奏も好きだし、謎が多い作品であるということも興味をひかれる。
ヘルムート・ヴィンシャマン指揮、ドイツバッハゾリステンの「フーガの技法」が聞き慣れている演奏だ。甘ったるい解釈だという批判も聞くが、とっつきやすくていいんじゃないだろうかと思う。で、今回入手したのはムジカ・アンティクア・ケルンの「フーガの技法」である。グールド、ヴィンシャマンと比べると、ラインハルト・ゴーベルの指揮は恐ろしくソリッドで、ちょっと立ち入る隙のない解釈である。ハープシコードや小編成の管弦楽による<読み>も分りやすい。聞き込むまでもなく、素直に入っていけそうである。ペルトにも、BACHの主題があったなそういえば、ということで今日もバッハに再敬意。
2008年3月26日水曜日
以外と日本語にならない表現
もう少し算術のセンスがあったら建築もやってみたいと思いつつ、長年の夢にFilm Studiesを勉強してみたい、というのがある。2つ持っている大学院修士のうちひとつめは民族音楽学専攻の社会人類学でYMOについて書いた。ふたつめは翻訳学で映画字幕について「Lost in Translation」を論じてみたりもした。この他勉強したい専攻はというと、やっぱり映画だよなあ、という単純な動機なのだが、ずっとやってみたいと思っていることの1つである。
で、ふと気がついたのだが。
翻訳もやってて映画も年に100本観てて、Film Studiesの日本語訳が分らないのだ。映画学?映画論?大体日本の大学には学位を授けるアカデミックな分野として映画を学ぶという概念が、そもそも存在しているのか?ウィキペディアを見てみても、映画学というのはどうやら日本語ではないらしいこともうかがえる。(日本大学芸術学部映画学科というのはあるらしいけども。)そこでさらに説明されている項目を見ると、ぼくが興味あるのは映画理論よりも映画史と、映画社会学に近いものであることも分ってくる。また、古い映画のデジタル復元みたいな分野にも興味ある。こういうのが勉強できるところは、あるのだろうか。またいつもの調査癖が出てしまう。ロイヤルアカデミーとかかー。ちょっと興味あるなー。
2008年3月25日火曜日
Dirty Sexy Moneyの可能性
ぼくは基本的にはテレビは観ない。観ないけど、時々観て「案外面白いな」と思うものはある。2001年からやっていた「シックス・フィート・アンダー」はついにDVDまで買ってしまった。これに出ていた俳優陣のその後は色々あって、次男を演じたマイケル・C・ホール主演のスリラー「デクスター」だとかあるし、ブレンダの弟で躁鬱病を見事に演じたジェレミー・シストは現在も人気シリーズ「Law & Order」で大活躍だったりもする。
で、「シックス・フィート・アンダー」の長男ネイトを演じたピーター・クラウザ主演の新シリーズが「Dirty Sexy Money」である。ドナルド・サザランド演じる冷徹なビジネスマンの家族はニューヨークで一番の大金持ち。そこに長年使えていた弁護士の父親が謎の事故死を遂げ、後釜として家族弁護士の位置に座ったのがピーター・クラウザ扮するニックだ。今週末からイギリスでも放映が開始されるので、中々の宣伝交戦なのだがはっきり言って、ちょっと面白そうである。キャスティングも凄いし。
2008年3月24日月曜日
「かえし」を作る
お蕎麦が好きなので、いつか手打ちにも挑戦したいと思っている。が、いきなり大きな目標は転びそうだし、できるところから始めるとするとやっぱり「かえし」かしらなんて思ってしまったもんで、つい。
で、本かえしは、日本にいたときには常備していた。普段から使って減ってきたら継ぎ足して、という使い方だ。基本は手打ちうどんの半日コースというものに参加したときに習った少量で作れるレシピで、上撰醤油で作っても「ちょい甘」の味付けになるものだ。ぼくは関東だし、家で食べるものなのでうどんも蕎麦も、肉じゃがの味付けだとかも含めて同じ「かえし」である。今回はこれを応用して、生かえしを作ってみた。(本かえしと生かえしの定義については未確認の部分もあるので、もしかしたら認識に誤りがあるかもしれない。今回は味醂と砂糖を煮詰めたものに加熱しないで醤油を加えた。ぼくはこういうものを生かえしだと思っている。全部煮ちゃうのが本かえし、というと乱暴過ぎるだろうか。)
さて、材料だがクリアスプリングという会社が、まっとうな日本の食材をイギリスで売っている。ロンドン中の自然食品店のほとんどどこでも買えるので、大体いつもそれにしている三河味醂とオーガニック醤油。下戸なので、味醂の味は分らないが料理に使うと濃くて、かつすっきりした甘み。お醤油はというと、杉樽2年仕込みでこちらも甘め。おいしい、実に。で、お砂糖はビリントンである。用途の広いデメララ糖という非精製糖のもの。お味噌も日本の麹とアメリカの豆、イギリスの塩で仕込んだ。かえしもせっかくなので、和洋折衷で作ってみようというわけで。ちなみに、デメララはいつもフェアトレードのものしている。これもまあ、「せっかくなので論理」だが、非フェアトレード品の普通のお砂糖と比べても、取り立てて高いわけでもないし。というわけで基本の材料が甘めなので、味醂は控えめにした。250mlの醤油に30mlの味醂と40gの砂糖である。それにしても飴色になった砂糖と味醂の香ばしいこと。
というわけで生かえしなので、使えるようになるのは4月の半ばだ。熟れてきたら、御膳がえしもやってみたい。といった感じで電車を待つのは楽しくないが、かえしを待つのはとても楽しい。
2008年3月23日日曜日
2008年3月22日土曜日
橋桁は、力強く天空を支える
「1日のうちに四季がある」などと言われるイギリスの天候。今日の午後は、1時間以内に晴れと、雪と、曇りと霰を見た。リナックス(リヌークス?ライナックス?)の勉強もしつつ、今日はグリドルの新調とステーキである。鉄のフライパンと同じで、イニシエーションが必要だ。ものすごい煙が出るが、油を塗ったグリドルをオーブンで1時間焼き切る。来月辺りには、おそらくこびりつかない鍋になってくれるであろうことを期待しつつ。
あと、今日は「PLANTED」でも活躍の(すごく尊敬している)いとうせいこう著「セケンムナサンヨー」再読。いとうせいこうは天才である。この人の切り口はいつも感心させられる。ベランダー、やってみたくなってるし。
それにしても真横に幅広の橋がかけられたため、橋桁だけが丁重に放置されている旧ブラックフライヤーズの美しさよ。
2008年3月21日金曜日
雪とお菓子と「マタイ受難曲」
今朝見たあれは、間違いなく雪だった。グッド・フライデー、巷は祭日である。川沿いの散策と、テイトモダンを経てひとつ復活祭っぽいのは何かというとホット・クロス・バンを食べることだ。甘めの生地にスパイスと干しスグリの実を混ぜて、キリストの十字架になぞらえて十字に切り込みを入れたパンだ。売り物のホット・クロス・バンには別の生地で十字を貼付けてあるものが多いが、手づくりだし、こっちのほうが本来のやり方らしいし、ということで切り込みを入れる。シロップを塗りたくってツヤを出して、と。ドライイーストを使ったせいか、すぐカタくなってしまった。残りは、暖め直して食べることにする。
それと、復活祭のグッド・フライデーというと受難曲である。ぼくはバッハが好きで、「ヨハネ」より「マタイ」が好きだ。68曲(3枚組のCDの曲数は79)、3時間の大作だが、アルヒーフのリヒター59年盤をもう20年以上聞いている。今年は、この歴史的名盤が録音されて半世紀の節目でもある。とかなんとかいいつつ、実際のところこの日に教会に行くわけでもないし、じっと3時間座ってマタイを聞いたことは一度もない。大体いつも何かやりながら聞いている。今日もホット・クロス・バンを焼きながら聞いた。有名な第39曲、アリア「Erbarme dich(憐れみ給え、わが神よ)」(アルト独唱)はちゃんと座って聞いたけど。
2008年3月20日木曜日
移動しない「春分の日」
2008年3月19日水曜日
野生のブルーベリー100%
夫婦揃ってトレッカーな友だちがいる。ネパールにも毎年トレッキングに行っているし、昨年末などは南米4カ国から南極上陸まで果たしたほどだ。別の友だちにも、ニュージーランド、ナミビア、南アフリカからガラパゴス諸島まで制覇している人がいる。旅慣れた友人たちそれぞれが「旅先の情報を仕入れるのにはこれがいい」というガイドブックに共通のものがあった。「The Ethical Travel Guide」というものだ。「ネパールは観光客を無制限に受け入れているため、経済は潤っているが現地人の日給は1.75ポンド」みたいなこともこの本に書かれている。トレッカー夫婦はそれを読んで、トレッキングの際お世話になる現地人シェルパをフェアトレード認定の団体からの派遣に変えたそうである。隣国ブータンはネパールでの<失敗>を教訓とし、厳しくコントロールされた観光は政府認定の団体による宿泊、食事、交通、ガイドなどはすべて前払いで1日当たり250ドルだそうだ。費用はブータン人の医療、教育などに還元されるそうである。なるほど。次の旅はオルタナティヴなものにしようと思わせる情報満載だ。
ちなみに、ヨーロッパでの環境大国は予想通りスウェーデンだった。ちょっと気になってるブルーベリーの飲み物もあるし。
2008年3月18日火曜日
めずらしく感傷的な日
チベットの動乱も悲しいし、アーサー・C・クラークが亡くなったというのも大きなニュースではある。が、今日一番悲しいのはアンソニー・ミンゲラの急逝だ。まだ54歳の若さだった。今晩試写会の開かれるThe No. 1 Ladies Detective Agencyが遺作ということになってしまった。「ブリジット・ジョーンズの日記」や「ラブ・アクチュアリー」でもお馴染みのリチャード・カーティスとミンゲラのコラボということで注目していたのだ。製作発表されたばかりだったThe Ninth Life of Louis Draxはお蔵入りだ。それほど本数は撮っていないが、いい作品ばかりの監督だった。(そういえば、アンドレイ・タルコフスキーもそういう監督だが、タルコフスキーも54歳で亡くなっている。)
ぼくがミンゲラ作品の最高傑作だと思っているのは「リプリー」だ。ジュード・ロー、マット・デイモン、グウィネス・パルトロウにケイト・ブランシェットという豪華なキャスティングだけに終わらない、珠玉の名作だと思う。同じパトリシア・ハイスミス原作のルネ・クレマン監督作品「太陽がいっぱい」も好きだが、「リプリー」はリメイクではなく、まったく別のエンティティだと思う。妻は、91年のデビュー作「愛しい人が眠るまで」が印象に残った生まれて始めての映画だったという。今日は追悼の意味も含めてミンゲラ作品を静かに観ようと思う。候補は、「イングリッシュ・ペイシェント」とまだ観ていない「こわれゆく世界の中で」。明日の朝が、多少辛かろうとも。
2008年3月17日月曜日
Linuxで再生iMac
使われていないiMac DV SE Graphiteというのが本棚に鎮座している。使われなくなってすでに数年。吝嗇なつもりでは決してないのだが何十万円はたいたのに売ったら数千円みたいな世界だし、なんとか使い道はないかと思いつつさらに数年経過してしまった。iTunes専用マシンにするという方法もあったが、USBがついてこない。バックアップ用のサーバーにするという手もあるが、Time Capsuleがあると本末転倒気味ですらある。せっかく古いマシンなんだし、それなりの使い道のある方法で再生してみたい。
というわけでまだ計画の段階でしかないのだが、Linuxにしてしまおうと思う。ググってみてもどうやらまったく使えないスペックでもなさそうだし、GNU/Linuxはずっと勉強してみたかったのだ。まずは内蔵のバッテリーを交換するところから始めなくてはならない。ディストロ
もまだ決めてない。大体プログラミングのことはほとんど何も知らないのだ。てなことでこの計画、長期戦で構えます。
2008年3月16日日曜日
久々にムサカを作ってみた
「この寒いのにナスもねえべなあ」とか思いつつも、ラムはばっちり旬である。メインになるのは、やっぱり肉だしね、ということで。元はアラブ語らしいが、英語の語彙としてはギリシャ経由で入ってきている。基本的にはラムのひき肉とをトマトソースで煮込み、ジャガイモとナスを薄切りにしたものとベシャメルをかけてオーブンで焼いたものだ。正式なものにはものすごく意外なハーブやスパイスが入っているが、ぼくが入れるのはナツメグとシナモンとパプリカである。たまねぎとにんにくのみじん切りをラムと一緒に炒めて、件のスパイスを投入したのちトマトで煮込む。この間ジャガイモを茹でておくのと、薄切りにしたナスにオリーブ油をかけてオーブンで焼いておくのが頃合いのタイミング。ラムが煮えてきたらベシャメルの用意だが、出来上がり間際にぼくはグリュイエールと生卵も入れてしまう。卵がオムレツみたいになって、焼き上がりがふんわりするのよね。といった感じでラムの上に芋とナスを重ねて、さらにベシャメルなわけだが、これがまた簡単でおいしい。少量というか、2人分作るのは難しいので大きめに作って翌日のランチにするのが正解という気もするんだよなー、これ。
2008年3月15日土曜日
コーラじゃないのよ、あくまでも
オレンジで作ったコーラのようなもの、というのが一番短くてすむ説明になるかもしれないのだが。Chinottoという飲み物だが、キノットと発音するようである。
ぼくはコーラは飲まない。というか、所謂ペリエのような炭酸水以外の<砂糖で味の付けてある炭酸飲料>は基本的に好みではない。炭酸水の中でも好みがあったりするのだが、Sanpelegrinoという日本でも売られているミネラルウォーターが特に気に入っている。このメーカーの製品であるChinottoは、例外中の例外的に好きな炭酸飲料だ。所謂正規販売ルートというのはイギリスにもないようで、ぼくの行動範囲に限って言えばだがCarluccio'sのようなイタリア系のカフェ/レストランとか、たまに行っているハマースミスのLyricという劇場など、一部でしか売られていない。学名Citrus Myrtifoliaという柑橘系の果物にハーブを加えて作ったChinotto。ちょっと独特で、コーラ系の飲み物だとチェリーコークとかドクターペッパーなどに似ていなくもないかもしれない。
ちなみに、ぼくがランチによく行くお店にSpianata & Coというのがあるが、ここでもChinottoは売られている。サンドイッチも普段好んで食べるものではないのだが、ここのローマ風180cmもあるオリーブ油で作った平たいパンのサンドイッチは時々無性に食べたくなる。Chinottoがまた、これによく合うのだ。
2008年3月14日金曜日
またしてもおいしいカレー
Tiffinには、いろいろな意味がある。インドの地方によっても意味するところが異なったりもするが、軽食あるいはそれを入れる容器、といった感じだろうか。旧英領インドのコンテクストにのっとれば、特に「ティフィン」は弁当箱になる金属製の入れ物、ということになる。日本語で「弁当」というとランチそのもののことだったり、それを入れる箱を意味することもあるのに状況がちょっと似ている気がする。ロンドンの、特に金融街に数店舗お目見えしたTiffinbitesでは、ステンレス製のティフィンでカレーが提供される。店舗によってかなり趣きが異なるが、Russia Rowにあるお店はちょっとおしゃれでかわいい。で、おいしい。おしゃれな見た目のお店によくある「中身はどうよ」ということがなく、どれをとってもおいしい。ターリには4種類ものカレーが出てくる。これにサラダと米とナンで、お皿の直径はまず40センチ以上はある。カウンター式になっている部分の端っこ、席から見えるところにタンドールがある。ナンはここで焼いている。チキンもフリーレインジという放し飼いにされたものを使っている。マンゴーラッシーがまた秀逸だ。すばらしく濃く、飲みやすい。
「またカレー屋さんの話なの?」ではあるが、実際好きなので、そこはまあ。
2008年3月13日木曜日
完璧な週末を手に入れる
Verde & Coはなんというか、こう、完璧である。たとえば、お店の外に置いてあるアンティークのいす。フランスのカフェとか公園で見かけるやつだ。店内でも暖炉に乗せられた銅の鍋。並べられたピエール・マルコリーニのチョコレート。なぜか紙製のギニョール。調度品だけではない。コーヒーもおいしい。でも、わさびとか「本だし」も売っている。かごに入っている野菜は新鮮そのものだ。領収書に押されるゴムのスタンプのロゴもすばらしい。ものすごく、すべての要素において、いつ行っても圧倒されるのがVerdeだ。そりゃまあ、確かにけっこうお値段だとは思う。卵なんて、スーパーの倍もする。でも、そこにはしかるべき理由があるのだ。そんじょそこらの卵ではない。ちょっと地卵みたいなレアな品種。当たり前のように対応してくれる店員さんはいつもそつない。所謂ひとつの笑顔が素敵だったりするわけでは、ないんだけどね。
スピタルフィールズの、中ではないがマーケットの南端40 Brushfield Street、郵便番号はE1である。ここはまあ、ものすごく混んじゃうところではないだろうと思うのだが、あんまり広めないで欲しいような気も、しないでもない。
2008年3月12日水曜日
都会を纏うには
ケンジントン・ガーデンズは、故ダイアナ妃も住んでいた邸宅があるところだ。1997年の夏には、ぼくよりも背の高いひまわりを贈呈しに行ったりもした。ところでこの公園、ハイドパークと繋がっているのでどこからがハイドパークでどこからケンジントン・ガーデンズなのかが今少し分りにくい。一応明らかにケンジントン・ガーデンズ側と思しき西端からハイストリート・ケンジントンの駅に向かって歩いた道の北側にはハビタとアーバン・アウトフィッターズが隣接している。アーバン・アウトフィッターズは基本的には服屋さんだけど、いかにもキッチュなメラミン食器やアナログ盤レコードのジャケット専用の額縁なんてものが売られていたりもする、ちょっと愉快なお店だ。
ぼくが良く行くのはコヴェント・ガーデン店のほうだが、ここではスタイロフォンも売っている。ソファだとかもそうなのだろうが、ヒラリー・クリントン型のくるみ割り人形まで含め、都会の装いは服だけじゃないのだ。ちなみに売り切れてしまったが、原寸大のR2D2型ゴミ箱なんてものもある。しかしこの2007年リバイバルモデルのスタイロフォン、MP3入力なんてものが付いてる。お気に入りの曲に合わせてスタイロフォンを演奏できるってことだ。困る。こういうことされると困る。欲しくなっちゃうじゃないですか。
2008年3月11日火曜日
現代だからこそ可能なもの
紅茶がヨーロッパにもたらされたときに、なぜ緑茶ではなく紅茶だったのかという大きな理由に、物理的に不可能だったから、というものがある。当時海路なり陸路なりで東洋から運ばれてくるお茶は、その移動の過程で発酵が進んでしまい、「紅茶になってしまう」のだった。爾来、ヨーロッパで飲まれるお茶はすべて発酵系だったが、現代においては航空便というものがあるので、緑茶を緑茶として数千マイル旅させても紅茶になってしまうこともなくなった。紅茶の話はまた別として、ルイボスは日本でもポピュラーな(本当はお茶ではないけど)お茶だと思う。これは南アフリカの原産である。ぼくも好きで、ほとんど毎日飲んでいる。ただそれとは別に、最近売り出されるようになって試してみたらすっかりハマってしまったのが非発酵系のルイボス茶である。そのものズバリ、Green Rooibosという商品名で売られている。ルイボス茶の「オリジナルはうちだ」と謳っているのはDragonflyというメーカーで、メジャーなルイボスは11 O’clockやTick Tockなどいろいろな銘柄がある中、ふたを開けてみればどれもDragonflyだったりする。
「緑茶のルイボス」を出したのはTick Tockだ。まず、すばらしく飲み口がやさしい。日本茶に慣れている者にとっては普通の(すなわち紅茶の)ルイボスよりも飲みやすいかもしれない。日本でも売っているところは売っているんじゃないだろうか。だってこれ、けっこう流行りそうだし。
2008年3月10日月曜日
後世に伝えたい義母のレシピ:薫製鯖のグラタン
魚をグラタンに入れるという発想が、またすごいと思った。使うのは、イギリスではどこのスーパーに行っても真空パックで売られているのだが、燻製の鯖である。ぼくは腸だけ外されているのを日曜市場などで仕入れているのだが、スーパーの骨も抜いてあって頭と尻尾まで外してあるものなら、皮を剥いてほぐすだけ。
タイミング的にはパスタを茹でるお湯を沸かすところから始めて、パスタを茹でるのと同じくらい大きいお鍋でホワイトソースを片栗粉で(小麦粉ではなくて)作るところから、このグラタン作りは始まる。なぜかというと、後でソースに茹でたパスタを混ぜるからである。というわけで大きめの鍋にバターと片栗粉に粉からしを小さじ1杯程度加えたものを炒めて、ナツメグを40往復くらい削り、牛乳で伸ばしてホワイトソースにする。イギリス風に決めたい場合、洋からしは、やっぱりコールマンかなあ。粒マスタード入れてもおいしいんだけどね。で、このホワイトソースにチェダーチーズをおろしたものを一掴みくらいと、ざく切りにした生のトマトかプチトマトと、先ほどの「ほぐし鯖」を混ぜてから茹で上がったパスタを混ぜて、オーブン皿に移してパルメザンとブランフレークを砕いたものを散らして200℃くらいで20分も焼くと完成である。オーブン料理なのに、作り始めてから30分以内で食卓へ、である。鯖にも脂が乗ってるし、冬においしい料理だが、イギリスはコーンウォールの沖で獲れる近海の鯖が実は夏ごろ旬なので、暑い時期にハフハフ食べるのもおいしい。トッピングのブランフレークはたまたま義母が常食していたからというのが理由のようだが、コーンフレークでもパン粉でも、極端な例なら「おせんべ」でもいいかもしれない。ビニール袋に入れて、すりこ木で叩いて粉にならない程度に砕く。カリカリした食感が決め手である。パスタはペンネ・リガーテとかフジッリとか、ある程度の大きさがあってソースの絡みがいいものが適していると思う。
ところで、日本では燻製の鯖が手に入りにくいと思う。青魚系で燻製になっていて、骨が少ないもののほうがこの料理にはいいかもしれない。あるいは、鯖の文化干しみたいのが入手しやすい代用品か?お菓子の缶に穴を開けて、中に大鋸屑とハーブを入れてガス台の上で20分ほど燻すだけでも燻製は作れるので、燻製の鯖を作るところから始めるというのも一興かもしれない。それに、ほぐした鯖の<剥いた皮>を捨てちゃったりしてはいけない。トースターとか魚焼きグリルなんかで炙って食すべし。
2008年3月9日日曜日
ヴィランドライと「平和の油」
Villandryに、久しぶりに行ってきた。3月に入って行動範囲が若干変わったこともあるのだが、Great Portland Streetのエリアに行くのは数ヶ月ぶりだったことに、行ってから気がついた。この区域には、10年以上前には日本食の食材屋さんもあった(今はもうないのだが)。友達も近くに住んでいるし、ちょっと面白い家具屋さんとか、ほかでは買えない折りたたみの自転車を売っているお店なんかもある。しょっちゅう行くところではないのだが、ちょっと独特な趣きのあるところでなんとなく好きだ。ところでフランス語ならヴィロンドヒくらいの読みだろうが、英語だと「ヴィランドライ」と読むこのお店、いつ行ってもまあ見事に欲しくなるものばかり置いてある。天然酵母のパン(「普通の人が寝ている間に私どもではパンを焼きます」)しかり、1ダースくらい一気に食えてしまいそうなピレネー山脈産のマドレーヌしかり、砂糖を一切使っていないジャム、ポルトガル産の巨大なツナ缶などなど。所謂そこら辺のデリとは一線画している。今回は、他では手に入りにくいもの、いつも気になっていたのだがそのお値段のせいもあってなかなか手を出せずにいたものということで、Peace Oilを仕入れてみた。
Peace Oilはイスラエルで生産されているオリーブ油である。Peace Oilというチャリティなのだ。ユダヤ人、アラブ人、ドゥルーズ派とベドウィンが協働しているという、文字通り平和の油である。はずなのだが。たとえば、Zaytounという団体。パレスチナ人の生活の糧としてのオリーブ油を提供していて、イギリスのオーガニックの認証団体であるSoil Associationも認識している同団体は、Peace Oilの<不透明さ>を激しく批判していたりもする。英紙ガーディアンに2007年末発表された記事でも、協働どころか良くあるオリーブ油生産と変わらないアラブ人のみの労働力の行使などを問題視してもいる。なるほどねえ。その響きほどは平和じゃないのかもしれないね。
で、肝心のお味のほうはというと、ふ〜ん、へぇ〜、ほ〜。