オーディオが<いい音>というよりも<利便性>が優先されていたのは、今に始まったことではないと思う。カセットだって、iPodだって、便利だから発明されたというほうが先であって、どれだけ音質を良くするかは付随する項目でしかなかったんじゃなかろうか。
今チャールズ・ミンガスを聞いている。いつも苦みばしったようなその表情であるとか、ちょっと前衛というか現代音楽っぽい解釈だとか、急に「スペイン?」みたいなギターの意表だとか、万人向けでは決してないだろうが、音楽そのものでは判断できない奥の深さのようなものがあると思う。しかしこれっていうのも、情報が先んじてるからなのかなあと、ちょっと思ったりもした。果たしてぼくは、ミンガスを「聞いて」いるのだろうか。情報をして好きだと思わせてるだけなんてことは決してないと、ぼくは言い切れるのだろうか。
「The Black Saint and the Sinner Lady」は、ベリック・ストリート(スペルはBerwickだが、発音はベリックである)のレコード屋さんで買った。CDではない。レコードである。10年以上前だ。レジに持っていったとき、「これいいアルバムだよね」(後ろの客、アイルランド人)「そうだよね」(店員の黒人)「なんかオリエンタルって感じするよね」(別の店員)みたいな話で盛り上がったのを覚えている。レコード屋さん自体にあまり行かなくなったが、こういう邂逅って、増々少ない気がする昨今。
2008年4月14日月曜日
付加された情報の価値と危険性
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