今日から始まったテイト・モダンの「Duchamp, Man Ray, Picabia」。ぼくにとっては、ヒーロー勢揃いである。この3人が一堂に介するだなんて、考えただけでもワクワクする。今回の展示はレベル4になんと13室、182点に及ぶ3人の作品を一挙公開なのだ。まさに、千載一遇のチャンスである。この機会を逃したら、これだけの規模でこのコンセプチュアルアートのゴッドファーザーたちを一気に見られることは二度とあるまい。レイヨグラフ、デュシャンの「遺作」、チェス、過去四半世紀というもの、この3人はぼくを憑依し続けてきたのだ。
この3人に共通するのは、悲劇的な要素だと思う。思えば、テイト・モダンがオープンしたときにレストアされたもののひとつがマルセル・デュシャンの「泉」だった。ヒビの入ったデュシャンの「泉」を丹念に修復していく映像は、今でも記憶に残っている。1917年に、アイディアに行き詰まった芸術家によって署名されただけの小便器。テイト・モダンにあるのは1964年のレプリカだが、最新技術を使って「新品同様」にするわけである。リチャード・ハミルトンとの合同による「大ガラス」のレプリカもそうだが、これって、ちょっと悲しい光景かもしれない。しかし、悲劇というのは、現代芸術につきものなのかもしれないとも思う。否、シャトー・ラトゥールを料理に使ったり、晩年は作品を作るよりチェスに興じていたデュシャンの後半生は悲劇などではない。
芸術が、永久に塗り替えられた瞬間。見たことのない作品も相当数集められている。2008年5月26日まで開催。
2008年2月21日木曜日
悲劇としての機械、写真、性
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