市川崑監督が亡くなった。享年94の大往生だ。ぼくが市川崑を「発見」したのは比較的最近である。子供の頃は横溝正史原作の「犬神家」シリーズだとか、「細雪」などで名前は知っている程度の監督だった。「竹取物語」を沢口靖子で撮ったときには一瞬どうしようかと思ったくらいだ。といった感じで黒澤を「発見」したのがロンドンに来てからだったのと同じで、ぼくが市川崑を発見したのはロンドンに来てからだ。初めて観た市川崑作品は「東京オリンピック」だったのだが、観る前にあからさまな固定観念があった。「オリンピックの記録映画ねえ。クロード・ルルーシュの『白い恋人たち』みたいなもんでしょう?」。今でも覚えている。「東京オリンピック」を見始めて数十分としないうちその固定観念が完膚なきまで破壊された、あの衝撃的なフレームを。台詞らしい台詞はない。スポーツの記録映画であることは確かだが、ドキュメンタリーを超えた何かがある。芸術作品としての評価も高いが、芸術だなんて鯱張ったものでなく、観ていて文句なく面白いのだ。あの語り尽くされている感もある「破壊される東京」といい、2000ミリという超望遠レンズによるクロースアップといい、散りばめられたユーモアといい。3時間近くあるのに、食い入るように観てしまった。
市川崑作品でそれを抜きには語れないというのが、奥方でもあり仕事上でも生涯のパートナーだった脚本家和田夏十だろう。正直、ぼくは和田夏十の脚本のすごさは分らない。プロットは分りやすいけど、言い回しも不自然だし、流れを不必要に滞らせている風なところがあるように思う。でも、不自然だけど、例外的にこれはもう<許す>という感じで観れるのは「黒い十人の女」だ。ぼくは山本富士子の熱狂的なファンである。山本富士子が出ている市川崑作品はほとんど観ていると思う。若干バイアスがかかっているかもしれないが、「黒い十人の女」はピチカートファイヴのファンでなくとも観ておく価値のある傑作だと思う。また、泉鏡花のファンとしては「日本橋」も見逃せない。この映画の発色は、今の映画にはないものだ。当時、技術的にこなれの悪かった大映カラーのおかげで、絢爛豪華だがくすんだ色彩という、今では再現できない美しさを生んでいる。世間に知られているように、この映画はアナクロに溢れているが、アナクロこそがこの映画の魅力でもある。他の市川崑作品では極限状態での飢餓が生むカニバリズムを扱った「野火」、森雅之と新珠三千代主演、夏目漱石の「こころ」もいい。特に「こころ」は、原作を読んだときの読後感とは違った、<市川崑による漱石>という独自の世界だ。現在DVDされていないものとしては東宝で撮った伊藤雄之助主演の「プーサン」(「蒲鉾屋」トニー谷のカメオは、もはやカメオを超えている)、中編「東北の神武たち」なども見逃せない作品だと思う。
個人的には、2つ目の修士論文がイアン・ブレイクウェル著「雪之丞変化」の翻訳だったこともあり、「雪之丞変化」には特に思い入れがある。長谷川一夫の映画出演300本記念作品であり、山本富士子の似合わない「べらんめえ口調」がとてもかわいい。「雪之丞変化」はイギリスにおけるDVD化済み作品としては現在でも唯一の市川崑であるという点においても、特筆に値する。(ちょっとだけに気になっているのだが、タッキーの2008年のNHKお正月時代劇はどうだったんでしょうね。)ちなみに、ぼくが観た市川崑最近作は黒澤明脚本の「どら平太」だ。黒澤明、小林正樹、木下恵介、市川崑という当時の日本映画を代表する4人の巨匠が結成した「四騎の会」。その第1回作品として企画されていた山本周五郎の原作による痛快長編時代劇が「どら平太」だった。結局これは実らず、「四騎の会」の第一作は黒澤の初カラー作品、同じ山本周五郎原作の「どですかでん」になり、興行的に大失敗に終わった。不幸にも、4人はその後「四騎の会」として活動することはなかった。2001年のアダム・ロウ監督の「Kurosawa」というドキュメンタリーの中でも市川崑は「あれ(「どですかでん」)はいい作品だけど、ちょっと暗い。ぼくは四騎の会の一作目は明るく派手に行きたかった」という内容の発言もしている。「どら平太」には雪辱戦的な、映画の出来そのものだけで済まされない因縁めいたものがあるのだ。
ところで、市川崑は岸恵子主演の「かあちゃん」が長編では遺作ということになると思う。まだ観てないので、機会があったらぜひ観てみようと思う。合掌。
2008年2月13日水曜日
追悼:市川崑監督
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