さて、ここで問題です。映画「シド・アンド・ナンシー」、「ショーシャンクの空に」、「ジェシー・ジェームズの暗殺」をつなげるものとは、いったい何でしょうか?この段落を読み終わる前に答えてください。ちくたく、ちくたく。って、これはかなりの映画好きでないと答えられない質問なのではないかというのを期待しているわけだが、なんだと思います?今これを書いているただ中、テレビでBAFTAの授賞式が放映されている。そのとき、思わず拍手してしまったことがあるのだ。贈られた人へ「大変良くできました」的なこともあるのだが、この賞をその人に与えたというBAFTAの審査員にこそ贈りたい拍手である。それにしても「映画に限って言えば」だが、今年はかなり珠玉の名作揃いの当たり年なんじゃないだろうか。今年のBAFTAの「つぐない」が最優秀映画賞は、、、まあ、、、それはね、、、とは思いつつも、「やっぱりね」のその<やっぱり>に必然性がすごく感じられる受賞が多い気がする。ダニエル・デイ=ルイスの最優秀主演男優賞しかり、ハビエル・バルデムの最優秀助演男優賞しかり。
ってまあそれはいいとして、そろそろ答えの時間にしましょうか。上記三作品に共通するのは「撮影監督が同じ人」、でした。この三作品を撮った撮影監督が、コーエン兄弟の最新作「ノー・カントリー」で最優秀撮影賞を受賞したのだ。すごく地味で、ちょっとアンチクライマックスっぽい答えで恐縮だが、これはそれなりの意味を持つ持つ受賞だったと、個人的には思う。その人の名はロジャー・ディーキンス。「バートン・フィンク」以来、コーエン兄弟作品の撮影はすべてこの人がやっている。
それにしても、映画にとって撮影というのは、視覚的な部分ではそれがすべてと言っていいほど映画の根幹をなすものでありながら、見る者にとってそれが意識されないものというパラドックスを感じる。よほどの映画好きか、丸っきりの映画業界人(その筋の人、とも言う)でもない限り、映画を観終わって「いい映画だったなあ」とは思っても、「この映画<撮影>が良かったよなあ」とは思わないものなんじゃないだろうか。逆に、「いい映画だったよなあ」と、撮影を意識しないで撮れる撮影監督こそ凄いのかもしれない。たとえば、黒澤明は東宝争議のとき大映において、かのベネチアでグランプリを受賞した「羅生門」を宮川一夫で撮っている。こういうのは、オタク的に知っていればこそ意味があるが、撮影監督の存在はあくまでも裏方であってこそ、なんじゃないだろうか。そこへ、今回のロジャー・ディーキンスの撮影賞受賞はすごく「観ている人は観ている」を感じさせるものだったように思う。今回のBAFTAや主要な映画賞からは徹底的に無視されている「ジェシー・ジェームズの暗殺」も、受賞作であるコーエン兄弟の新作「ノー・カントリー」も、ロジャー・ディーキンスなのだ。この、観てすぐそれと分るほどの灰汁の強さはないものの、真っ当な仕事を地に足をつけてこなしている職人の仕事が認められたというのは、一ファンとしてとてもうれしい。
それにしてもBAFTA授賞式でティルダ・スウィントンが着ていたディオールはものすごくゴージャスだった。あれに負けないパーソナリティだというのがまたすごい。でもタンディ・ニュートンのアレクサンダー・マクィーンが個人的にはすごくかわいかった。あと、今年はやけにジャスミン・ディ・ミロが多かった気がする。ちょっと注目しちゃおうかしら。
2008年2月10日日曜日
見落とされがちな要素
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