2007年12月8日土曜日

ベティ・デイヴィスの瞳

「オズの魔法使い」は、20世紀フォックスがシャーリー・テンプルに他社作品への出演を許さなかったがためにジュディ・ガーランドがドロシーを演じることになった。「風と共に去りぬ」のスカーレットは、撮影が始まるまで誰が演じるのか決まっていなかった。当時ローレンス・オリヴィエの愛人だったヴィヴィアン・リーがスタジオに来ていなかったら、リーにスカーレットがオファーされることもなかった。「キャバレー」のサリーをライザ・ミネリが演じることになったのは、バーブラ・ストライザンドが出演を断ったからだった。

ハリウッドというのは、時に偶然が生んだ幸運をもたらす場所である。

「イヴの総て」でベティ・デイヴィスが演じたマーゴ・チャニングは、誰が演じるのかが決まるまでに、ちょっとした紆余曲折がある。この映画の監督ジョーゼフ・L・マンキウィッツは最初からベティ・デイヴィスに演じて欲しかったのだが、スケジュールの都合でデイヴィスは断念。そこで白羽の矢が当たったのはクローデット・コルベールだ。が、コルベールも別の映画の撮影中の怪我が原因であえなく降板を余儀なくされる。コルベールは、後に悔しくて何日も泣き続けたとと述懐している。「(事故とはいえ)あんな良い役を棒に振らざるを得なくなって」。三度目の正直なるか?は、ガートルード・ロレンスである。1949年、ロレンスのエージェントはマンキウィッツ監督に電話で「マーゴはうちのガートルードが演じるにしては、ちょっと酒飲みが過ぎますね。それに歌がないじゃありませんか」と詰め寄る。マンキウィッツは「だったらそういう役をくれる監督と仕事させなさい」と電話を切る。ガチャン。すったもんだの数ヶ月のうちにベティ・デイヴィスの「黄昏の惑い」(日本未公開)の撮影が終わり、無事デイヴィスがマーゴを演じることになりました。めでたし、めでたし、である。

この映画は、確かに逸話に溢れている。現在でもオスカーノミネート数はぶっちぎりで最多(14)という化け物作品というのは言わばフェイントでしかない。当時まだ無名だったマリリン・モンローの出演しかり、撮影中に知り合い、ベティ・デイヴィスの恋人役だったギャリー・メリルとデイヴィスが撮影中に実際に結婚したりだとかもある。ちなみに1946年、雑誌「コスモポリタン」に発表された芸能界内幕ものの短編をマンキウィッツ自ら脚色、監督した作品でもあるのだ。

地なのか演技なのか分らないとされるデイヴィスの大女優ぶりはさておいて、ベティ・デイヴィスがマーゴを演じてなかったら、この映画は「イヴの総て」たり得ていなかったであろう。しかし、その重層的でブラックなプロットとシャープな語り口、編集の緻密さにいたるまで、(良く言われることではあるが)本当に見てみるまでその凄さが分らないというタイプの映画である。

あと意外だったのは、マリリン・モンローの自然な演技だ。演劇学校の新卒という女優の卵という役なのだが、肩肘張ったところが少しもない。50年代半ばには既に見られる「モンロー節」とでもいうような独特さ(変なクセ?)が、全くないのだ。

タイトルは知っている。作中の、有名な台詞の引用も何度となく聞いている。監督の名前だって知ってれば、主演女優が誰かも知ってるし、オスカーの受賞数まで知っていることだってある。でも、実際に見たことがない映画。そういう映画の一つが「イヴの総て」だった。マンキウィッツ監督による1950年作品、「一番好きな映画のひとつ」リスト上位にランキング。

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