ブラッケン・ハウスは、セント・ポール寺院の斜向かいにある荘厳な造りの建物だ。1959年竣工。戦後かなり焼け野原だった金融街の外れ、復興の気運に合わせ経済紙ファイナンシャル・タイムズが委嘱したこの建物。建築士はアルバート・リチャードソン卿である。ファサードには戦後の建築にしては珍しく天文時計もあるし、クラシカルな雰囲気のあるファサードは今見ても古さとか違和感を感じさせない希有な成功例ではなかろうかと思う。まず、この建物はレンガ造りではない。石でできている。ファイナンシャル・タイムズ紙は紙の色がピンク色でも有名だが、この新聞の色に合わせて砂岩は特別にイングランド中部地方のホリントンという区域から採掘されたものだ。ちなみにブラッケン・ハウスの名前だが、ファイナンシャル・タイムズ紙、前オーナーであるバーナード・ブラッケン卿に肖っている。天文時計の中央には、ブラッケン卿の友人だったチャーチルの肖像画が嵌め込まれていたりもする。「ちょっとばかり、力入れてみました」が感じられる。
この建物に鉄とガラスのファサードを追加したのが90年頃だ。マイケル・ホプキンス卿による再設計はオリジナルの重さを損ねることなく、きっちりモダンに機能性と美しさを兼ね備えたもので、こちらも素晴しい。
ところで新聞は88年に完成したドックランズの新社屋に移るまではここで印刷されていた。で、この新しいFTビルは設計がグリムショーで、これまた素晴しい。今度ドックランズに行ったときにはまたレポートしてみたいと思う。
2008年4月28日月曜日
ブラッケン・ハウスの再生
2008年4月27日日曜日
コンディトー&クックのホット・チョコレート
サイトが、およそお店とかそこで売られているものの質とか雰囲気を反映していないように思う。Konditor & Cookという、チョコだとかケーキだとかのお店だ。チェーンといえばそうだが、ロンドンに5軒のみ。ぼくが良く行く映画館の中にも入っているし、週末のマーケットの傍にもある。巨大な焼きメレンゲは、おでんでぶくぶくに膨れ上がったような「はんぺん」を彷彿とさせる。ブラウニーも好物なのだが、ココアのスプーンがビスケットになっていて、かき混ぜながらココアのしみたスプーンを齧っていく楽しさもココならではだ。
ところで、英語でココアというのはカタカナでいうココアを作る粉のことで、ココアとして牛乳など足して飲み物になっているものは、あくまでもホット・チョコレートである。夏目漱石にも「チョコレート飲む?」という台詞が出てくるが、時代が下って簡略化されたのかもしれない。
2008年4月26日土曜日
「ペルセポリス」、観てきました
ヘンデルの「ラールゴ」は、今ではほとんど上演されないオペラ「クセルクセス」の中の一曲である。今から遡ること20年ほど前、某ウィスキーのCMでキャスリーン・バトルの歌う「オンブラ・マイ・フ」として、テレビでも放映されていたので、お茶の間での知名度もそれなりに高いのではないだろうか。で、その、クセルクセスというのは何かというと王様の名前である。紀元前5世紀アケメネス朝の王様なのだが、この人の父親であり、アケメネス朝4代目の帝位を君主制に基づいて引き継いだ王様がダレイオス一世である(諸説あり)。ダレイオスと、クセルクセスの代に遷都され、当時まだ建設の続いていた都市国家がペルセポリスだ。ペルセポリスは、現在ではユネスコの世界遺産に指定されている。
イラン人の友だちは二人いる。どちらもパーレヴィ王政の崩壊した1979年にロンドンまで逃げてきた人たちだ。一人は新聞社の、かなり上層部で働いているお父ちゃんで、もう一人は当時まだ小学生だった女の子である。フランス映画「ペルセポリス」のマルジにも、ちょっとだけ境遇が似ている。この友だちは英語もまったくイギリス人のそれで、特にイラン人としてのアイデンティティを表面に押し出している人ではない。79年に何が起こったのかも、サラッと「逃げてきたのよ」と素通りくらいで、境遇については落ち着いて話たことがあるわけでもない。それにしても、いかにぼくはイランのことを知らないのかを痛感させられる。クセルクセスがイランの王様であることも、ペルセポリスがイランにあることも知らなかったのだ。
映画「ペルセポリス」はアニメではない。監督マルジャン・サトラピの半生を綴ったグラフィック・ノベルを、忠実に動画に置き換えたものだと思う。実写だったら遠い世界の出来事が、動画であるがために親近感の沸くものになっている。ところで映画には、世界遺産の話は全く出てこない。まして、クセルクセスのことには一言も触れていない。西洋でも馴染みの深いポップ文化への参照のほうが、よほど豊富だ。ぼくとサトラピ監督とは同年代ということもあって、<自分もやったなー、「アイ・オブ・ザ・タイガー」に合わせてゲンコツ突き出すの>、みたいなところでも楽しい映画だ。悲惨な現実を、ユーモアたっぷりに綴ったイランの近代史。
ところで、声の出演だが、大人になったマルジはキアラ・マストロヤンニで、マルジの母タージの声はキアラの実母であるカトリーヌ・ドヌーヴである。イギリスでは、この辺は全く話題にならなかったけど。
2008年4月25日金曜日
「確定性定理」ですと?
意外なことを、いつまでも覚えているものですよね人間って、っぽい話。今日思い出したのは、お料理とかお寺さん巡りが好きな友だちと、みたらし団子を作りながら「相対性理論はみんな知ってるけど、量子論って知られてないよね」っぽい話をした15年前の秋のことである。脈絡として、マーク・ブキャナンという人の「The Social Atom」という本を読んでいるのだが、<「不確定性定理」というのはそう見えるだけであって、実際はある程度確定的なものである>、ということである。すごく興味深い。
ブキャナンは元々は行動心理学の畑の人だそうだが、「コペンハーゲン解釈とは対局にあるド・ブロイ=ボーム解釈で、なぜ近所に住む人が自分に似ているのかが説明できる。富裕層がなぜ増々裕福になるのかが分る」みたいなことを解いている。世界の確率的な振る舞いの裏に、確固たる存在または性質が実在するという主張。隠れた変数理論。なるほど、神はサイコロを振らないわけね。お料理が好きな人と友だちっていうのも、偶然じゃないのかもしれない。慶應幼稚舎にだって、カネだけでは入れないのだ。経営アナリストの仕事もこれなのかなあと思いつつ、まだ読み終わっていない本のページをめくる。いやー、この先楽しみだなー。
2008年4月24日木曜日
ご近所探検隊:Cafe Des Artistes
大体、なんでタイレストランに「芸術家のカフェ」なんて名前が付いているのか。それに、同店内がカントリーと東南アジアのごった煮みたいな様相を示していなければならないのかということも含めて、ナゾの多いお店というのが第一印象だった。解釈というものは個人的な感覚に依存するところが大きいとはいえ、お店を入ってすぐのスロットマシーンは、あまりいい将来を約束するものとは思えない。あまつさえ、頭文字なのであろう屋号のCatsという看板は、どう観てもミュージカルを模倣したものだ。タイ料理屋さん?なのである、あくまでも。
地下鉄フィンズベリ・パークの栄えてない方を左に登ったストラウド・グリーン・ロードの79番。存在は知っていたが、なんとなく入る気になれないお店の1つだった。モーレツにココナツっぽくて辛いものが食べたくなり、近所だと「ああ、あんなところもあったっけね」、ということで行ってみた。
うまい。
ロンドンにあるタイ料理でも1、2を争う旨さだ。椰子の葉で香りと色を付けたココナツライス、ジャングルカレー、パドタイのどれもが「うめえ」を連発しながら食べずにはいられないおいしさだった。サービスだって早くて丁寧だ。申し分ない。
疑ったりしたオレが悪かったと反省しつつ、<近所にこんなおいしいお店があるなんてうっしっし>を噛み締める平日の晩。
2008年4月23日水曜日
コリン・ファースのエコショップ
「ロンドン市長選挙ではグリーン党に投票する」発言もあった俳優コリン・ファースが言い出しっぺというエコなお店が、当人在住のチズウィックに開店した。その名もエコ・エイジだそうである。地下鉄ターナム・グリーンから歩いて数分のハイストリート、インテリアが中心だがコンサルティングまで引き受けるという大規模な展開を目指しているらしい。品揃えも、お、これは欲しいかも、というのがそこここにある。毎日、一人一人ができるところから始めようぜ、というスタンス。で、コリン・ファースは「混雑税は払いたくないからプリウスにした」のをきっかけにエコに目覚めたそうである。いいんですよ、きっかけはなんでも。
2008年4月22日火曜日
4月の緑と不確定性
4月というと、雨が多いわけで。日本の梅雨とは事情が違うが、天気予報屋さん泣かせの実に予測しづらい天候が続くのだ。とかいいつつ、去年の4月は7月や8月なんかよりよほど気温も高くて晴れた日が多かった。が、こういうのは例外中の例外で、例年4月のロンドンは朝には晴れてていい陽気でも、昼ごろには雹が降り、午後には晴れるが気温は朝より10度以上低い、何てこともざらである。確かに、散歩だとか買い物だとか、外に洗濯物を干せる幸運なロンドン市民には不便なことこの上ない。しかしそれも、「自然とはかくあるものよ」と括れるハラもあればこそ、である。
この季節、「いつの間に」っぽく緑が濃くなる。地面でラッパ水仙が勢いつけていた頃には、気の緑はこんなに青々としていなかったよな、ってな若干急激な成長。といった感じでおまわりさんも、馬で闊歩のグリーンパーク。
2008年4月21日月曜日
思いつき朝食
2008年4月20日日曜日
誰もいないシティ
週末に、金融街を訪れるのは中々一興である。まず、ほとんど人がいない。平日の朝晩なら、まず余裕で数百人くらいはすれ違うであろう人が、駅からバービカンまで歩いた10分間に数人程度にまで減る。ここまで極端なのもすごいんじゃないかと思わせる類いのすごさだ。
今日は何しにシティかというと、アントニオーニの「砂丘」を観にきたのだ。ミもフタもない言い方だが、しょうもない映画だと思う。しょうもないけど好きだ。ピンク・フロイドだってパティ・ペイジだって、「これでもか広告攻撃」だって、もうそれだけでいい。クリシェとしては衝撃のラストシーンかもしれないが、「それはともかく」という映画だと思う。同じ種類の映画にはウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」がある。しょうもなくても、いい。とりあえず、こういうのもありだよな、と思わせるすごさ。
思えば、ロンドンに来て最初にしたことの1つが、仲良しの友だちと東ロンドンのアトリエ巡りと、その帰りのシティの散歩だった。週末。Love Laneという素敵な名前の裏道、道標はキスマーク付きだった。巡礼してみようかな、また今度。
2008年4月19日土曜日
チャリティとランチは両立するか
テレビ番組は観ていたし、レシピ本も活用している。社会貢献度の高さでも尊敬を集めている人のお店だ。つまり、ぼくも有名な人のやっているレストランだからという理由で行ったことには変わりない。超有名なシェフのやっている、ユニークな非営利団体のレストラン。
なのだが。
「噂の的」だから期待が高過ぎたのだろうか。「セレブなシェフ」のお店だからつい点が辛くなってしまったのだろうか。その要素が全くないとは言い切れないかもしれないが、できるだけ客観的に判断して、このお店にまた行きたいかというと、答えはノーである。オシャレな場所?ロゴは、ちょっと80年代風だよね。それに、どうして席に案内されるまで20分もバーで飲みきったグラスを眺めていなければならないんだろう?店員の行き来はひっきりなしだ。これって、活気に溢れているのか?それにしては私語やムダな動きが多過ぎる。有名人のやっているお店だから気になってここに足を運んだのは、そういうわけでぼくも同じである。店内でカメラのフラッシュが数分おきに光ることでも、それは思い出されることになる。それにしても、ひっきりなしに動くウェイターやウェイトレスがいながら、料理の出てくるのが遅い。イタリア風のメニューだが、イタリアを気取ったイタリアでもなんでもないものに、なってしまってはないだろうか。出てきた料理はまあおいしいけど、「けど」なんだよな、しかし。だってラム、数百回くらい噛んだけど、ついに飲み込めなかったし。見渡すと概ね、モダンを装った内装。なのだろうが、そこの合板椅子とシャンデリアを結びつけるものは何だろう?ユニフォームが蛍光ピンクがパンクなロゴと戎のジーンズ。それはいいけど、クリケットの素振りかー。チャリティなのは分る。分るけど、「恵まれない環境で育った若者の更生施設なのだここは」と、自らに言い聞かせながら食べることになるのって、ちょっと考えものじゃなかろうか思いつつ、デザートはキャンセルする。
といった感じで、レシピ本は今後とも活用していこうと思う。不遜なんですけど、この人のレシピ、自分で作ると、おいしいし。
2008年4月18日金曜日
本日の購読リストもまた併読
ユイスマンス「さかしま」
高野文子「るきさん」
マキューアン「土曜日」
チャペック「園芸家12ヶ月」
「さかしま」は50年代の英語訳なのだが(ボールディック訳)、まったく古くない。第9章までさしかかって、この3月に大学を出て卒論はゴヤだった友だちのことを思う。デカダンっていうけど、そうなのかなあ。澁澤龍彦も好きなので、日本語訳でも読んでみたい。
「るきさん」はもう何十回も読んでいる。最近「るきさん」度が下がってきたかな?なんてときに再読して、トップアップするのだ。
マキューアンは読書家のともだちが教えてくれた「セメント・ガーデン」以来、最近の「贖罪」も良かったので出るといつも読んでいる。新作は脳外科医の一日に起こるさまざまな出来事である。もう3分の1ほどまで読み進んだが、この男の土曜日はまだ午前中なのだ。おっさんの半日で数百ページ。続きが気になってしょうがないマキューアンの筆力。食い入るように読む。数ページずつだけど。
チャペックは、プラハのともだちが「種蒔いたんだってね」と送ってくれた。早ぇ。しかも、ちゃんと英語訳を探してくれたのだ。ありがたい。実践的な園芸ガイドがここまで文学的な崇高さを吐露するというのは希有な成功例ではないだろうかと思う。これまた尊敬している、いとうせいこうの「ベランダー」コンセプトも「園芸家12ヶ月」から生まれている。英語で読んでいるので、これも日本語訳が気になるところである。
といった感じでブラウン首相にカリスマ性があろうがなかろうが、ちゃんと仕事してくれてるかのほうを焦点にはせんのか?などとも思いつつ、今日の思いは「そろそろ新茶の予約入れとかんとなあ」である。
2008年4月17日木曜日
チャリンコ乗りに最適な風力発電
自転車は基本的に好きだ。小学生のときからほとんど毎日、子供にしては相当の距離を自転車で移動していた。ウォークマンで音楽を聴きながらというちょっと危ない方法ではあったのだが。好きな音楽を自分コンピレーションするという作業そのものも楽しかった。レコード、録音中に次を選んで曲が終わったら一時停止、レコード掛けかえ、その次のレコード、という具合だ。自分で選んだ曲を聴きながら移動ということ自体は、今も変わっていない。それがiPodとiTunesのプレイリストになったので、90分テープを作るのに費やしていた数時間が数十秒になったけれども。
で、もし自転車に乗っていたらこれは使いたいかも、というものがHYMiniである。蓄電池が内蔵されているので、20分の充電で(すなわちチャリンコこぎ続けで、ということだが)iPodなら30分、携帯電話なら4分ほど使えるらしい。それなりの努力が生む電力。ありがたみが沸きそうな数値である。現実的には「しまった!電池切れだ!」というシチュエーション向けではあろうものの。
2008年4月16日水曜日
2008年4月15日火曜日
「思いがけず」と「いつもありがとう」の狭間
ロンドンに住んでいて、ときどき一緒に遊んでいる友だちから絵はがきが来た。「遠くに住んでいる」とか、「旅先から」、というのではなくて近くに住んでいる人からだったというのがまた感慨深い。仲のいい人たちではあるので、全く予想外というわけでもないながらも、メールやSMSじゃなくてはがきだったというのは軽い驚きである。
晩はバルセロナから帰ってきた友だちと一緒に、コヴェント・ガーデンにターリを食べにいく。お土産にハモンセラノだとかをくれる。バルセロナ在住、版画家の友だちから預かってきたというニョラスという干しピーマンのようなものもいただいた。バスク地方のものらしい。ドックランズ在住、シェフなハーフスパニッシュのともだちにも聞込みを入れてみようと思う。マーケットで見かけて気になりつつも使ったことのなかった食材。スペイン語の解読から始めて、週末に向けて楽しみがまた増えるわ。
2008年4月14日月曜日
付加された情報の価値と危険性
オーディオが<いい音>というよりも<利便性>が優先されていたのは、今に始まったことではないと思う。カセットだって、iPodだって、便利だから発明されたというほうが先であって、どれだけ音質を良くするかは付随する項目でしかなかったんじゃなかろうか。
今チャールズ・ミンガスを聞いている。いつも苦みばしったようなその表情であるとか、ちょっと前衛というか現代音楽っぽい解釈だとか、急に「スペイン?」みたいなギターの意表だとか、万人向けでは決してないだろうが、音楽そのものでは判断できない奥の深さのようなものがあると思う。しかしこれっていうのも、情報が先んじてるからなのかなあと、ちょっと思ったりもした。果たしてぼくは、ミンガスを「聞いて」いるのだろうか。情報をして好きだと思わせてるだけなんてことは決してないと、ぼくは言い切れるのだろうか。
「The Black Saint and the Sinner Lady」は、ベリック・ストリート(スペルはBerwickだが、発音はベリックである)のレコード屋さんで買った。CDではない。レコードである。10年以上前だ。レジに持っていったとき、「これいいアルバムだよね」(後ろの客、アイルランド人)「そうだよね」(店員の黒人)「なんかオリエンタルって感じするよね」(別の店員)みたいな話で盛り上がったのを覚えている。レコード屋さん自体にあまり行かなくなったが、こういう邂逅って、増々少ない気がする昨今。
2008年4月13日日曜日
種蒔きは、14番目の月
常識なのかもしれない。が、ぼくは知らなかった。フランス版「おばあちゃんの知恵」っぽい本を持っているのだが、それに出ていた知恵の1つに「新月から上弦までに種蒔きすると成長を促進する」とある。なるほどねえ。月の満ち欠けって、やっぱり不思議。ちなみに植物の成長に月が影響するという主題に関しては、E. A.クロウフォードという人の「The Lunar Garden」という本もあるそうである。ちょっと面白そうだなあ。ぼくはガーデニングというよりは、<食べられるもの>を栽培してみたいのだけれど、概念としては興味深い。庭もなければベランダもない状態ではあるが、どこまで出来るだろうか。「大根は難しそうだよね」、みたいなことはある。軒先というか、窓の外に植木鉢を置いて、という範囲で現実的な選択はなんだろうか。セミプロの水彩画家であり、庭師でもある義父にも聞いてみた。「葉ものとラディッシュは簡単だよ」、だそうである。
じゃ、初心者なので、葉っぱものからひとつ。
まず昨年、姉に頼んで送ってもらった小松菜だとかの種がある。サセックス州で、日本や中国の(ヨーロッパでは)珍しい野菜の種を扱っている菜園もある。蒔いた種は紫蘇、春菊、水菜、壬生菜、ルッコラ、セルフィーユ、スイバなどである。
今日は半月、これから月は満ちてくる。Plantedのいう「ベランダー」どころか、窓から体を乗り出してのガーデニング、果たして成功しますかどうか。
2008年4月12日土曜日
はずれちゃったの、冥王星
幻の名作「シバラレダイン」が5回で終わってしまってもうすぐ2年、その後のNeoM rePublicにおけるしりあがり寿の映像作品は「まあ、面白いんだけど」の<けど>の部分が気になるものが多かった。
しかしこの3月から配信されるようになった「ならべうた」シリーズはかなり好きだ。第一作めの「干支」、二作め「オリンポス12神」に続き、今日iTunesのポッドキャストで送られてきた「太陽系」は傑作である。主題の選択もさることながら、異常にプラグマティックな動画はモーションキャプチャーのごとき滑らかさである。なんの意味もない。やっぱりしりあがり寿は天才だ。
2008年4月11日金曜日
モホリ=ナジとフェラ・クティが繋ぐ時間
パフォーマンス・アーティストの友だちが、ベルリン公演から帰ってきた。今回はナイロン糸をピンと張って部屋全体をリュートにしたという出し物で、特に子供たちに大ウケだったそうである。電話口で、なにやら思わせぶりな雰囲気で「直接伝えたいニュースがあるの」という。ほほう。聞かせてもらおうじゃないの。金曜日だし、晩御飯でも一緒に食べながらということで、まずは家に来てもらった。
マーマレイドとイタリアンパセリをたっぷり入れた野ウサギのラグーをまたやってみる。パスタはパルパデッレ。セルフィーユのハーブバターで、チヤバタを暖める。ルッコラと、グリドルで焦げ目を付けたリボン状のズッキーニのサラダはライムのドレッシングである。妻がレモンカードとバイオレットのトライフルを仕込んでいる頃に、二人はやってきた。
ぼくと同い年のその友だちは、着くや否や「結婚するの」という。付いたり離れたりを繰り返しながら10年以上付き合ってきた彼と、ついに、ということである。この彼がちなみに写真家なのだが、グラストンベリーにフェラ・クティを観にいってたり、高橋幸宏ファンの元カノがいたり、ヒーローはモホリ=ナジだったり、ぼくと接点の多い人だった。これからも、今まで以上に一緒に時間を過ごすことが多くなりそうな人たち。
2008年4月10日木曜日
「ちん」と「ぺ」-遠方より来る友
まさに新婚さんいらっしゃいなのだが、もうかなり古い付き合いなので、実感的には、、、というやつのようである。
今回は観光というか、新婚旅行なのに家までわざわざ来てくれた。ロンドンで、映画製作の現場で知り合ったこの二人。「ちん」は映像の人で、こういう<分ってる人>に写真を褒めてもらったりすると、やっぱりうれしい。けっこう久しぶりなのだが、先週くらいに会ったばかりのような自然さで、あっという間に夜は更ける。妻のウエディングドレスを手づくりしてくれた「ぺ」と妻は、実に11年ぶりの再会である。しかしこれまた先週会ったばかりのような自然さで。ちなみに晩のメニューはチキンとナツメヤシのタジン。ザクロを入れたクスクスに、「ちん」は興味津々のようである。
ちなみに、お土産もコシヒカリからホワイト柿チョコまで炸裂するこの二人カラーが流石である。明日の朝、噂のターミナル5からバルセロナへと出発。週末を向こうで過ごし、来週またロンドンに一度戻ってから帰国。飛行機、無事乗れるといいね。
2008年4月9日水曜日
わざとじゃなかろうかという名付け
オーストリアはザルツブルクの北33キロ、バイエルンの片田舎に実在するフキンクという村。最古の記録は1070年という、由緒ある村だ。ここの道標は盗難が絶えないそうである。ちなみにスペルは、Fuckingである。
それとはちょっと違うのだが、似たような例が昨日読んだ新聞に出ていた。それが今日は、BBCのニュースにまでなっている。
Luntという街が、リヴァプール近くにある。古ノルウェイ語か古スウェーデン語が語源だそうで、「一塊になった木々」みたいな意味があったらしい。英語が話せる人ならすぐピンと来たかもしれないが、いたずら書きでLをCに変えるという被害が絶えないそうである。Launtにスペルを変えたいという声が上がっているが、中世から続く歴史ある村だけに「いたずら書き程度の理由で名称変更なんてしたくないですね」という住民の声も強いのだとか。
でもさー、これ、英語でいうasking for itなんじゃないかなーとかも、ちょっとだけだけど、思わないでもない。
2008年4月8日火曜日
ピスタチオとバラのケーキ
2008年4月7日月曜日
グレツキとクロノス・クァルテット
ウェストコーストジャズに辛口の意見の人も多いが、ぼくはビル・エヴァンスもチェット・ベイカーも、どっちも好きだ。93年、センセイショナルな売り上げを記録した交響曲3番で「軟派」とされているグレツキだが、ぼくはラフマニノフは聞かないまでもグレツキは好きだ。反面、シューマンとかチャイコフスキーが好きというクラシックファンと、ジミ・ヘンドリックスだとかライヒだとかいう守備範囲でほとんど手放しで好きなのがクロノス・クァルテットというぼくみたいな人と話が合うのかどうかは、微妙というものもあるかもしれない。それはともかく組み合わせが個人的にうれしい、クロノス・クァルテットによるグレツキの弦楽四重奏曲第3番を入手。「すでに日は暮れて」と「ひばりの音楽」が収録されたクロノスも良かったが、この録音は更にこなれの良い、鍛え上げられた演奏という気がする。第二楽章のラルゴはソリッドで今日みたいに寒い春にぴったりという気がする。
ところで、交響曲3番は、ぼくはズィンマン指揮ロンドン・シンフォニエッタより、ナクソスから出ているポーランドラジオ響の録音の方が好きです。
2008年4月6日日曜日
またしても雪っていうか吹雪だよね、これは
2008年4月5日土曜日
北アフリカに思いを馳せる
わけではなくて、ただ単にムーア人の食べてるものを応用して、クスクスだとかの簡単なランチにしたのだ。一瞬雨が降ったが晴れている土曜。花冷えというには気温が低過ぎる。真冬の寒さだが、今日のランチで気分は南国である。
パンを焼いて、ヒヨコ豆とほうれん草をトマトで煮たものとチキンの炒め煮がメイン。タラゴンとかディルとかのハーブとゆで卵で酢の物のような感じにしたものだとか、フムスにラムの挽肉と薫製パプリカ粉をまぶしたものだとかもある。ハモン・セラノとマンチェゴ+メンブリヨもあるのでちょっと贅沢な感じでひとつ。「これ、ようかん?」というともだちは、メンブリヨは初めてだそうである。ああ、マンチェゴとメンブリヨ。おしるこに伽羅蕗にも似た、かなり天才の組み合わせ。
2008年4月4日金曜日
2008年4月3日木曜日
焼きメレンゲと梨、チョコソースにナッツ
2008年4月2日水曜日
そんじょそこらの古本屋ではなく
生まれ変わったブランズウィックセンター。良く行く映画館もあるし、日常の買い物に利用しているスーパーもあるし、眼鏡もここで新調した。が、生まれ変わってないものもある。SkoobBooksという古本屋である。ぼくの母校(のひとつ)はロンドン大学のSOASというが、学生だった頃はDillonsと呼ばれていた本屋さん(現在はWaterstone)とSkoobでいろいろな本を買った。今でも読んでるTextual Strategiesだとか、フィリップ・ハルスマンの写真集だとか、ちょっと感慨あるなあ、という感じである。なんとなく、サンフランシスコのバークリーにでもありそうな雰囲気の本屋さんで、無垢の木の本棚にぎっしり本が詰められている。のだが、時々外国語の本もあってフランス語だとかドイツ語だとかの他に、なぜか金賢姫の本があったりもする。ブランズウィックの北側を地下に降りるのだが、かなり知らないと辿り着けないと思う。本はネットで、だけじゃない楽しさ。いやー、でも長居しちゃうんだよな、しかし。
ちなみにスクーブと読むこの屋号だが、ブックスの逆さ綴りである。ちょっとベタ。
2008年4月1日火曜日
夏時間が始まって
散髪に行った。トルコ系の、すばらしく速くて腕のいい理髪師だ。平均所要時間は7分程度である。夏時間になった翌々日、9時近くまで外は明るい。理髪店の主は完全に夏時間を見逃していて、営業時間を50分も過ぎてるのにまだ営業している。おかげで、遅い時間に散髪できたわけだが。と、頭もさっぱりしたことだし、晩にはかつて消防署だったというその名もFire Stationというバー&レストランへ。ものすごく混んでるのに、食事は「?」である。おいしくないわけじゃないし、サービスも悪くないんだけどね。片や、Xubuntuのインストールはまだうまくいっていないが、なんとなくほっといてしまう。Unclattererには、「メールのフォルダは少ない方が散らからない」みたいなことが書かれている。そうだよなあ。フォルダ、増え過ぎだよなあ。録画しておいた「Dirty Sexy Money」を観てみる。期待していたほど頭を使うドラマではなかったが、そこそこ面白い。でも、この先も観続けるかどうかは、ちょっと疑問。BBCはかなり良くできたニセモノの「空飛ぶペンギン」をニュースとして放映している。あ、今日はエイプリル・フールだったか、、、。みたいなぼんやりした日だった一日。