ブラッケン・ハウスは、セント・ポール寺院の斜向かいにある荘厳な造りの建物だ。1959年竣工。戦後かなり焼け野原だった金融街の外れ、復興の気運に合わせ経済紙ファイナンシャル・タイムズが委嘱したこの建物。建築士はアルバート・リチャードソン卿である。ファサードには戦後の建築にしては珍しく天文時計もあるし、クラシカルな雰囲気のあるファサードは今見ても古さとか違和感を感じさせない希有な成功例ではなかろうかと思う。まず、この建物はレンガ造りではない。石でできている。ファイナンシャル・タイムズ紙は紙の色がピンク色でも有名だが、この新聞の色に合わせて砂岩は特別にイングランド中部地方のホリントンという区域から採掘されたものだ。ちなみにブラッケン・ハウスの名前だが、ファイナンシャル・タイムズ紙、前オーナーであるバーナード・ブラッケン卿に肖っている。天文時計の中央には、ブラッケン卿の友人だったチャーチルの肖像画が嵌め込まれていたりもする。「ちょっとばかり、力入れてみました」が感じられる。
この建物に鉄とガラスのファサードを追加したのが90年頃だ。マイケル・ホプキンス卿による再設計はオリジナルの重さを損ねることなく、きっちりモダンに機能性と美しさを兼ね備えたもので、こちらも素晴しい。
ところで新聞は88年に完成したドックランズの新社屋に移るまではここで印刷されていた。で、この新しいFTビルは設計がグリムショーで、これまた素晴しい。今度ドックランズに行ったときにはまたレポートしてみたいと思う。
2008年4月28日月曜日
ブラッケン・ハウスの再生
2008年4月27日日曜日
コンディトー&クックのホット・チョコレート
サイトが、およそお店とかそこで売られているものの質とか雰囲気を反映していないように思う。Konditor & Cookという、チョコだとかケーキだとかのお店だ。チェーンといえばそうだが、ロンドンに5軒のみ。ぼくが良く行く映画館の中にも入っているし、週末のマーケットの傍にもある。巨大な焼きメレンゲは、おでんでぶくぶくに膨れ上がったような「はんぺん」を彷彿とさせる。ブラウニーも好物なのだが、ココアのスプーンがビスケットになっていて、かき混ぜながらココアのしみたスプーンを齧っていく楽しさもココならではだ。
ところで、英語でココアというのはカタカナでいうココアを作る粉のことで、ココアとして牛乳など足して飲み物になっているものは、あくまでもホット・チョコレートである。夏目漱石にも「チョコレート飲む?」という台詞が出てくるが、時代が下って簡略化されたのかもしれない。
2008年4月26日土曜日
「ペルセポリス」、観てきました
ヘンデルの「ラールゴ」は、今ではほとんど上演されないオペラ「クセルクセス」の中の一曲である。今から遡ること20年ほど前、某ウィスキーのCMでキャスリーン・バトルの歌う「オンブラ・マイ・フ」として、テレビでも放映されていたので、お茶の間での知名度もそれなりに高いのではないだろうか。で、その、クセルクセスというのは何かというと王様の名前である。紀元前5世紀アケメネス朝の王様なのだが、この人の父親であり、アケメネス朝4代目の帝位を君主制に基づいて引き継いだ王様がダレイオス一世である(諸説あり)。ダレイオスと、クセルクセスの代に遷都され、当時まだ建設の続いていた都市国家がペルセポリスだ。ペルセポリスは、現在ではユネスコの世界遺産に指定されている。
イラン人の友だちは二人いる。どちらもパーレヴィ王政の崩壊した1979年にロンドンまで逃げてきた人たちだ。一人は新聞社の、かなり上層部で働いているお父ちゃんで、もう一人は当時まだ小学生だった女の子である。フランス映画「ペルセポリス」のマルジにも、ちょっとだけ境遇が似ている。この友だちは英語もまったくイギリス人のそれで、特にイラン人としてのアイデンティティを表面に押し出している人ではない。79年に何が起こったのかも、サラッと「逃げてきたのよ」と素通りくらいで、境遇については落ち着いて話たことがあるわけでもない。それにしても、いかにぼくはイランのことを知らないのかを痛感させられる。クセルクセスがイランの王様であることも、ペルセポリスがイランにあることも知らなかったのだ。
映画「ペルセポリス」はアニメではない。監督マルジャン・サトラピの半生を綴ったグラフィック・ノベルを、忠実に動画に置き換えたものだと思う。実写だったら遠い世界の出来事が、動画であるがために親近感の沸くものになっている。ところで映画には、世界遺産の話は全く出てこない。まして、クセルクセスのことには一言も触れていない。西洋でも馴染みの深いポップ文化への参照のほうが、よほど豊富だ。ぼくとサトラピ監督とは同年代ということもあって、<自分もやったなー、「アイ・オブ・ザ・タイガー」に合わせてゲンコツ突き出すの>、みたいなところでも楽しい映画だ。悲惨な現実を、ユーモアたっぷりに綴ったイランの近代史。
ところで、声の出演だが、大人になったマルジはキアラ・マストロヤンニで、マルジの母タージの声はキアラの実母であるカトリーヌ・ドヌーヴである。イギリスでは、この辺は全く話題にならなかったけど。
2008年4月25日金曜日
「確定性定理」ですと?
意外なことを、いつまでも覚えているものですよね人間って、っぽい話。今日思い出したのは、お料理とかお寺さん巡りが好きな友だちと、みたらし団子を作りながら「相対性理論はみんな知ってるけど、量子論って知られてないよね」っぽい話をした15年前の秋のことである。脈絡として、マーク・ブキャナンという人の「The Social Atom」という本を読んでいるのだが、<「不確定性定理」というのはそう見えるだけであって、実際はある程度確定的なものである>、ということである。すごく興味深い。
ブキャナンは元々は行動心理学の畑の人だそうだが、「コペンハーゲン解釈とは対局にあるド・ブロイ=ボーム解釈で、なぜ近所に住む人が自分に似ているのかが説明できる。富裕層がなぜ増々裕福になるのかが分る」みたいなことを解いている。世界の確率的な振る舞いの裏に、確固たる存在または性質が実在するという主張。隠れた変数理論。なるほど、神はサイコロを振らないわけね。お料理が好きな人と友だちっていうのも、偶然じゃないのかもしれない。慶應幼稚舎にだって、カネだけでは入れないのだ。経営アナリストの仕事もこれなのかなあと思いつつ、まだ読み終わっていない本のページをめくる。いやー、この先楽しみだなー。
2008年4月24日木曜日
ご近所探検隊:Cafe Des Artistes
大体、なんでタイレストランに「芸術家のカフェ」なんて名前が付いているのか。それに、同店内がカントリーと東南アジアのごった煮みたいな様相を示していなければならないのかということも含めて、ナゾの多いお店というのが第一印象だった。解釈というものは個人的な感覚に依存するところが大きいとはいえ、お店を入ってすぐのスロットマシーンは、あまりいい将来を約束するものとは思えない。あまつさえ、頭文字なのであろう屋号のCatsという看板は、どう観てもミュージカルを模倣したものだ。タイ料理屋さん?なのである、あくまでも。
地下鉄フィンズベリ・パークの栄えてない方を左に登ったストラウド・グリーン・ロードの79番。存在は知っていたが、なんとなく入る気になれないお店の1つだった。モーレツにココナツっぽくて辛いものが食べたくなり、近所だと「ああ、あんなところもあったっけね」、ということで行ってみた。
うまい。
ロンドンにあるタイ料理でも1、2を争う旨さだ。椰子の葉で香りと色を付けたココナツライス、ジャングルカレー、パドタイのどれもが「うめえ」を連発しながら食べずにはいられないおいしさだった。サービスだって早くて丁寧だ。申し分ない。
疑ったりしたオレが悪かったと反省しつつ、<近所にこんなおいしいお店があるなんてうっしっし>を噛み締める平日の晩。
2008年4月23日水曜日
コリン・ファースのエコショップ
「ロンドン市長選挙ではグリーン党に投票する」発言もあった俳優コリン・ファースが言い出しっぺというエコなお店が、当人在住のチズウィックに開店した。その名もエコ・エイジだそうである。地下鉄ターナム・グリーンから歩いて数分のハイストリート、インテリアが中心だがコンサルティングまで引き受けるという大規模な展開を目指しているらしい。品揃えも、お、これは欲しいかも、というのがそこここにある。毎日、一人一人ができるところから始めようぜ、というスタンス。で、コリン・ファースは「混雑税は払いたくないからプリウスにした」のをきっかけにエコに目覚めたそうである。いいんですよ、きっかけはなんでも。
2008年4月22日火曜日
4月の緑と不確定性
4月というと、雨が多いわけで。日本の梅雨とは事情が違うが、天気予報屋さん泣かせの実に予測しづらい天候が続くのだ。とかいいつつ、去年の4月は7月や8月なんかよりよほど気温も高くて晴れた日が多かった。が、こういうのは例外中の例外で、例年4月のロンドンは朝には晴れてていい陽気でも、昼ごろには雹が降り、午後には晴れるが気温は朝より10度以上低い、何てこともざらである。確かに、散歩だとか買い物だとか、外に洗濯物を干せる幸運なロンドン市民には不便なことこの上ない。しかしそれも、「自然とはかくあるものよ」と括れるハラもあればこそ、である。
この季節、「いつの間に」っぽく緑が濃くなる。地面でラッパ水仙が勢いつけていた頃には、気の緑はこんなに青々としていなかったよな、ってな若干急激な成長。といった感じでおまわりさんも、馬で闊歩のグリーンパーク。