中学、高校の頃から読んでいて、今でも時々引っ張り出しては読んでいる本が3タイトルある。山岸凉子の「日出処の天子」と漱石の「草枕」、それに ドナルド・バーセルミである。アメリカの「マッド」というマンガとか、Appleのマッキントッシュだとかと平行して、バーセルミは中学生のぼくを「どうしてぼくはアメリカ人じゃないんだろう」なんて思わせたものだ。ただバーセルミは短編集と言ってもバーセルミだけで1冊というのではなく、タイトルは忘れてしまったのだが、ふと入った神保町の古本屋でボルヘスも収録されているもの、というのがバーセルミとの<出会い>だったと思う。その後ユリイカとか、WAVEなんて雑誌(「メタフィクション」特集)に一部が訳出されたものだとかを含め、バーセルミの作品をずっと探し続けてなぜか全く見つからないというのが10年以上続き、気がついたらバーセルミは亡くなっていた。バーセルミはそんな個人的な曰く付きの作家でもあるが、ちょっと恐ろしい感じが、いつ読んでも漂う。猟奇的とさえ、言えるかもしれない。
手元にあるのは92年刊のアンソロジー「ドンBの教え」である。柴田元幸の名訳もいくつかあるのだが、少しずつ訳出していきたいと思っている。1ページとちょっとしかない短編「手紙を書いた」の出だしは、こんな調子である。
手紙を書いて、月の大統領に送った。そちらには、レッカー移動はあるのでしょうか、ってね。警察にわたしのホンダをレッカー移動されたのだが、実に気に食 わない。そいつを取り戻すのに、75ドルと精神衛生を犠牲にしたのだ。レッカー移動されるのは小型車だけだって知ってる?クライスラー・インペリアルが しょっぴかれるとこ見たことある?ないよね。
風刺と、諧謔に満ちている。バーセルミ楽しさはパスティーシュというか、パロディの精神であって、ポストモダン小説と言えばそうかもしれないが、そちらかというともっとポップで軽快なものだと思う。訳出できたら、この場にも投稿してみたいとか思ったりもする。著作権とかは、ちょっと微妙かもしれないが。
1 件のコメント:
osamu
ek3r4n@bma.biglobe.ne.jp
http://d.hatena.ne.jp
突然の書き込み失礼します。
バーセルミ氏の事なのですが、絵画における
”コラージュ”は有名ですが、小説でコラージュというのは、どのようなスタイルにになると思われますか?
やはり、ある一塊の章をくぎって、纏めたような姿になるのが、本来なのでしょうか?
今頃になって、バーセルミ氏を読んで、頭を悩ませている馬鹿者です。
発売された当時は、とてもじゃないが、普通の読者が手に取れるような代物ではなかったです。
コメントを投稿